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進研ゼミを始めたのに、なぜ僕たちの成績は伸びなかったのか

【何かを始めるとき、大切なのは新しいものを買い揃えるより、古いものを捨てること】は僕の座右の銘になっている。

何かを目指すというのは、それを選ぶということなんだと思う。だけど選んだひとにだけ、選んだことのすべてが待っている。


初対面が週に4,5人訪れる。面接だったり、ただバンドをしているひとだったり、何かの信者だったり。

求人も出しているせいで、僕の生活は「初めまして」が尽きない。なぜか求人サイトからマルチ勧誘も多く紛れ込んでくる。彼らはほぼ信者であり、信者という生き物は非常に問題があるので、みんなも気をつけてほしい。

マトモもマルチもだけど、僕と会うほとんどのひとが「今と違う規模のものを手に入れようとしている」という状態にある。
そして「僕が役に立てるかどうか」というシチュエーションが多い。

【最近会ったひとたち】
・年収200万だけど600万にしたい
・動員を増やしたい
・美女と付き合いたい
・痩せたい
・メンタルを安定させたい 
・アップラインからの不労所得がほしい(マルチ)

4月に入ってから聞いた願望を並べてみた。

向上心があるひとは喋ると楽しいし、うんうん聞くのも好きな時間だ。

しかしこの目標、夢、ゴールを現実にしていくのは簡単ではない。

なぜなら彼らの状態を言いかえると

・年収200万なのに600万にしたがっている
・動員が無いのに増やしたがっている
・太っているのに痩せたい
・メンタル不安定なのに安定させたい

という状況に他ならないからだ。

「いや、当たり前やん」と思うかもしれない。

しかし僕たちは『自らの習慣、考え方、生き方の果てに今日がカタチ作られていること』をもーちょい掘ってもいいんじゃないだろうか。

つまり自然に今日が作られたのではなく、人為的、作為的になるべくしてなっているのだ。

満足しているならばかまわないが、新しい何かを掴みたいならば、捨てなくてはいけない。

何を捨てるかというと、今日まで自分を作ってきた【習慣・考え方・価値観】だ。まとめちゃうと『世界観』だ。

年収200万の人間の、動員が無いバンドの、太っている人間の、メンタルが不安定な人間の考え方や生き方、習慣を消去しないといけない。書き換えるため、今日までの世界観をデリートするのだ。

たとえば、太っているひとの世界観からしたら【高炭水化物・高脂質の摂取制限】は「ガマン」にあたるわけだけれど、痩せているひとの世界観からすると、そもそも摂取しないのがフツーなのだ。ガマンでもなんでもなく当たり前であり、通常だ。

この「世界観を欲しいステージに合わせるために、従来の世界を破棄する」というテクニックを知らないひとが多い。

新しいものを掴みに挑戦する際、多くのひとが決意する。
「ようし、やるぞぅ‼️このトレーニングやら何やらをして、栄光を掴むんじゃい🏆」と魂を燃やす。

だけど悲しいかな続かない。火はあっさり消える。

この最大の要因こそが「現状の考え方や生き方、価値観を捨てるつもりが無かったんよ」という盲点だ。「がんばる前に、今やってるこれポイしないとね」という話だ。

年収200万円ステージのひとの考え方、習慣のまま、600万円ステージに至ることはあり得ない。かといって、いきなり600万ステージの思考回路にはなれない。

だから考え方、価値観を捨てる覚悟だけしておくのだ。

従来の考え方を捨てるタイミングがある日、いきなりやってくるからだ。この瞬間のために捨てる覚悟をしておく。準備しとかないと、反射的に200万思考で対処してしまうようになる。

僕も経験がある。

中学2年生の頃、進研ゼミを再開したのだ。

僕はもともと勉強が得意な子どもだった。
中学に入学しても問題はなかった。算数から数学になり、むしろ簡単だった。
正負の数
問(1)0より3大きな数を答えなさい

とかだった。「バカにしおって!こんなもんサルでも分かるわ!」と笑いながら解いていた。

しかし2年になると、数学の難度は獰猛になった。藤井風からCrossfaithをつないでくる情緒ブッ壊れたプレイリストみたいだった。

中学2年生で数学挫折する子どもは、非常に多いらしい。
図形、関数、二次方程式、三平方などが多種多様になり、それらが複雑に織り交ぜられるかららしいが、ていうか数学なのに漢字多すぎ。

そんな心の折れかけていた僕をあざ笑うように、学期末テストが目の前に迫っていた。

数学教師はなぜか異様にハッスルしていて「この学期で学んだすべてのワザを駆使して問題を作るからな!」と解散ベストアルバムのリリースみたいなことを言っていた。

僕たちアホ男子は「簡単にしろー!」とブーブー文句を言った。
数学教師はCrossfaithになり、「だまれ!このテストで優秀なやつと、アホをしっかり分けるからな!覚悟しとけよ!」と怒鳴った。こいつはいったい何がしたいんだと思った。

僕はあまりのメタルコアっぷりに絶望し、藤井風みたいな表情で家路をトボトボ歩いた。

家のポストを見ると「ゼミ」の漫画が入っていた。

進研ゼミなら小学校の頃にやっていた。
擬人化したクマやらカニやらトラやらウサギが「12÷3は4だね!」などと陽気にコーチングしてくれる家庭用通信教材だ。

意味があったかなかったか覚えていない。なんかパッと始めてサッと辞めてしまった気がする。

思えば小学生の頃は、そこまで成績の優劣が重要ではなかった。あの日々に戻りたかった。足が速いとか遅いとかだけで生きていた時間が恋しかった。

しかし今は違う。中学になれば偏差値とか平均点とか、そういうゴチャゴチャしたランキングが発生している。なんか優秀なやつとアホを分けるとか、危ないことを述べるハードコアな教師もいる始末だ。

なんていうか他の大人たちもマジっぽくて、アホのままだとシャレにならない空気をずっと出してきていた。

くやしい、アホ扱いされたくない、なんか全部ダメになりそうで、不安に押しつぶされそうだった。
学力に人生が握りつぶされていく恐怖心が、少しずつ忍び寄ってきていた。

僕はポストからゼミの勧誘漫画を抜き取り、真剣に読んだ。

そこにはもうクマとかカニとかはいなかった。ゼミ漫画のストーリーもちょっと焦燥感あふれる感じになっていた。
「このままじゃヤバイぞ」みたいなあおりがキツかった。

ビビリまくりながらも読み進めると、「ゼミに入れば、努力せずに成績優秀者になれてモテモテになるぜよ!」みたいな夢のような話が描かれていた。

マインドコントロールの基本である【解凍→変革→凍結】がキレイに炸裂し、僕の目はキラキラになった。こうして人間は宗教にハマるんだと思う。

その日に親に入会を懇願した。
「ゼミなら!ゼミなら叶うんだ!」と泣きながら頼み込んで「もうしょーがないわねぇ」と漫画の中の親御さんのように権利を勝ち取った。

翌日、学校に行くやいなや、なぜか僕はクラスメイトにゼミを布教した。
「ゼミなら!ゼミなら叶うんだ!」とキマりまくった目で声をかけた。
拒否されたら「おまえらのためを思って!」とキレた。何がやりたいのかまったく分からない。

そして学期末テストの結果は1ミリも変わらなかった。信じたのにさ。

ちなみにゼミは悪くない。原因は信者にある。
信者は届いたゼミの教材をまったくやらなかったからだ。

そもそも信者には家で机に向かう習慣がないのだ。ていうか、ずーっとギターを弾いたり、ゲームをしたり、漫画を読んだりダラダラ遊び倒していた。ゼミは触れてすらいなかったのだ。そりゃ意味ないわ。

「机に座らんかい!」と親に言われたが、「今やろうと思ってたのに!言われたからヤル気なくなった!」とだけ言ってドラゴンボールとかを読み返していた。

・今やろうと思っていた。言われたからやらない
・ヤル気がないと机には向かえない

この世界観はいうなれば、成績下位者の世界観だ。上位者は

・今やろうと思っていた。言われても別にやる
・ヤル気がなくても机には向かう

という世界観で生きている。

下位の世界観を捨てる覚悟ができていなかった僕は、急に飛んできた「従来の考え方を捨てるタイミング」に対処できなかったのだ。反射的に成績下位者の世界観で対応してしまった。

こういうことを大人の世界でやると、ハイレベルなひとたちから「こいつはだめだ」と判断される。「ダメ人間」というのは従来の世界観の断捨離ができない人間を指すのかも知れない。

振り返ると、ただ危ない進研ゼミの信者になっただけだった。勧誘しかしていなかった。

信者にはこれまでの【習慣・考え方・価値観】を捨てる発想が1ミリもなかった。アホの世界観をキープしたまま、成績上位者を目指していた。でもだってそう書いてたんだもん。まんがに。

ゼミからすると「机に向かう習慣がない」なんて発想がなかったのだろう。
「そんなクズの面倒まで見切れんよ。そんなやつはもう、どうとでもなればいい」とカイジの利根川先生にならざるを得なかったのだ。

だけど成績下位者の世界観では、机に向かう時点でもう「努力」なのだ。

痩せているひとが「深夜にラーメンを2人前食べる」なんて発想がないのと同じだ。太っているひとからすると、週に一回の、そのご褒美をガマンすることが「努力」なのだ。

ただ、最初に捨てる誓いを立てれば違ったかもしれない。物理的にドラゴンボールとかギターとかゲームを全部捨ててもよかった。


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