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さよなら、バンドアパート.美咲の話2

二年生になり、ますます孤独は進んだ。完全に地球上でひとりぼっちになった気がした。中二病という言葉があるが、あれは正確には「数え年で十四歳病」だ。学校に通おうが通うまいが、この年齢になると自意識が炎症を起こして、腫れ上がる。

神社に行く日は激減してしまった。そのせいで時間ばかりが生まれた。

人間というものは一年も社会から認識されていないと、自分との対話が増えてくる。

本を読み始めたり、ネットサーフィンをしたり、音楽を聴いたりと、とうもろこしをかじるみたいに片っ端から手をつけた。しかしインドアでの一人遊びは難航した。

まず哲学書や文芸書を読み始めた。しかし酒を飲みながら読むせいで、さっぱり理解できないのだ。素面で読んでも難しいバタイユだのセネカだのソクラテスだのをウイスキーをラッパ飲みしながら読むのだから解るわけがない。

酔っ払っていくと活字が踊り出し、天井は回転し、朝目覚めると茶色の液体でびしょ濡れになった本が転がっている。何十冊も読むには読んだが、内容は何一つ覚えていなかった。これほどつまらないことはない。

ネットサーフィンもFlash動画は笑えたが、BBSでの討論は潔癖な自意識が、匿名性の卑劣指数に耐え切れず離脱した。

それに比べて音楽は楽だったのだが、重大な問題があった。それは「流行に乗るわけにはいかない」という壁だった。「中二の自意識」というやつは融通がきかない性質があり、流行りと寝ることを許さなかった。

JーPOPを聴くのは敗北を意味するので、見境なく洋楽のCDをレンタルし、MDにコピーしていった。

OASIS、ブラー、レッチリ、NIRVANA、ジミヘン、クラッシュ、ピストルズ、ツェッペリン、ビートルズへと走った。

走ったはいいが、何が良いのかまったく分からなかった。英語を教わっていないので、歌詞という「良さ」への手がかりも見えず、鉱脈をダウジングで探すような旅だった。

だが、「中ニの自意識」 の命ずるまま「良い」ことにしなくてはならなかった。「中二の自意識」はソクラテスの弁明の前には敗れ去ったが、ここに敗けるわけにはいかなかった。たった四分、五分の曲である。しかも「古きロック」は外国では利口者というより、馬鹿向けにデザインされている娯楽だと聞いた。さらに不届き者や、アウトサイダー、ならず者、落ちこぼれを文化的に保護してくれるという魔除けの札にもなるという話だった。

「CHEMISTRYとケツメイシにハマってんな」
そう言った栗田にここでカウンターを打たないといけない。

「ああ、そういうやつな。俺はツェッペリンの2nd」

こう答えなくてはならないのだ。身を焼いてでも上回らないといけない。それだけをモチベーションに何時間も聴き続けた。苦戦や難解というレベルを超えて修行に近い領域だった。

MDウォークマンのイヤホンを変えたり、MDコンポのイコライザ設定を『Bass Booster』や『Vocal Booster』にしたりと「良くなる努力」を試行錯誤した。

音楽機器メーカーや製作者の意図だけで満足しているから『良く』ならないのだ。他人から享受しただけでは努力とは言えない。

『好きでもないこと』を『好きなこと』に昇華して威張り散らすのだ。そんなずうずうしい特権、与えられた宿題をこなした程度で手に入るわけがない」と茂野吾郎にならざるを得なかった。

筋群を徹底的に苛め抜くアスリートのように悪戦苦闘を重ねた何ヶ月目かのある夜、目の前にふさがった壁に、突然亀裂が生じたのを感じた。

「B'zのほうがええやん」という心の声を監禁しながら、聴いていたロバート・プラントのハイトーンに武者震いが起きた。気を抜いていたら見落としてしまいそうな剃那の震擦だった。

急いでMDを『Rubber Soul』に変えた。内心、禁忌の象徴であるCHEMISTRYの劣化版だと思っていたジョンとポールの声にくらっとした。焦燥感にかられたまま『NEVER MIND』に入れ替えた。
これまで聴き取れなかったベース音が聴こえ、「ちゃんと声を出せなくてヘタクソやな。体調悪そう。かわいそう」とじつは同情していたカート・コバーンの声が本能の皮膚を引っ掻いた。

それは言葉にしようとすると、消えてしまいそうな淡い熱狂だった。だけど確実にそこに存在する手触りだった。焦りにかられ、次々とMDを手に取った。

リアムもアンソニーもストラマーも昨日までとは違う輪郭で声を発していた。感動は目覚めにも似た段階を踏んで、より明晰なものへと変わっていった。一枚ごとに胸が波打ち、鳥肌が立ち、脳天が震えた。

夜明けの光が部屋に差し込んでくる頃、借りてきたばかりのWEEZERの青いアルバムをウォークマンに差し込んだ。
ー曲目の「Things were better then Once but never againあの頃はよかった、もう戻って来ないけど。俺たちは自分の部屋を後にした。そんな話を聞いてほしい」というフレーズのルビまで読めた気がした。

言語では訳せないくせに、心では訳せているような不思議な感覚だった。
すっかり栗田に誇示したいという気持ちなど失せ、素直に音楽に心を解放するようになった。

聴くだけでなく、作ってみたくなるのは自然な流れだったのかもしれない。カートのジャガーやストラマーのテレキャスターは手が届かなかったので、二方円弱の安いアコースティックギターを買った。ブロンズの弦を鳴らすと無敵になった気がした。

ナメクジの行進みたいだった時間の流れ方が一気に早くなった。春、夏、秋と矢のように中二の月日は過ぎていき、オリジナル曲が山盛りになっていた。

創作というものは自由だった。何を書いてもいいし、どこに進んでもいいし、すぐに終わってもいいし、いつまで続いていてもいい。

作るだけでなく、録って聴いてみたいと思うのも自然の流れだった。
『カセットMTR』と呼ばれるカセットテープのマルチトラックレコーダーを買った。一万円ほどで買える最安価の録音機材だった。

自分の歌を録ってみると、カートの数倍は体調の悪そうな声だった。しかし何度も録って聴くうちに、爪の垢ほどだがマシになってきた。「何かが上達する」という喜びを音楽を通して初めて知った。

テープのレコーダーはデジタルのレコーディングとは異なり、極めて原始的な録音機器で、足の親指で録音と再生ボタンを同時に押しながら、マイクに向かって歌う。そのため常に一発勝負だ。たとえば「Bメロから録り直す」なんてことは不可能だった。

完成したらMDコンポを使って、曲をMDに取り込む。録り溜めた「自分全曲集」を聴いていると、何か大きなものに包まれているみたいな心地よさに包まれた。楽曲の質や内容なんかよりも、自分で決めて、自分が進んでいるような全能感は味わったことのないものだった。


九月の終わり、星を眺めながら公園でウイスキーをラッパ飲みしていた。火照ほてった顔に秋の夜空が心地よい、一年に何度かある四季を止めたくなる瞬間だった。

MDプレイヤーからはイヤホンを通して、ヘタクソな自分のギターと歌が聴こえてくる。今日作ったばかりの新曲だった。酔いが回ってきて、ベンチの背もたれに頭を載せる。酔いには駄曲だろうが何だろうが、名曲に聴こえてくるマジックがある。洗脳された猿のように何度もリピートしていた。

目をつむって浸っていると、肩を叩かれた。びくっとして耳からイヤホンを取った。警官か教師かそれともPTAかとにかく何かしらの大人か。
「川嶋くん?」
振り向くと白いTシャツの女の子が立っていた。肩までの髪に、切れ長の上品そうな目には覚えがあった。
「片岡さん……?」
同じクラスの片岡美咲だった。ほとんど学校に顔を出していなかった僕だが、片岡美咲とは数回言葉を交わしていた。

いくら登校拒否児でも、学期明けの登校日や学期末ぐらいには顔を出す。その日に行かないとさすがに大問題らしく、無理やり呼ばれていた。
美咲は一年生の時も同じクラスだった。授業のない日は席順が出席番号順になるため、この二年で何度か隣に座ったことがある。

「何してるの?こんな時間に」
美咲は首を傾げて、頭にクエスチョンマークを浮かべていた。
「えっと、別に……音楽、かな?聴いてただけやけど」
反射的に酒瓶が見えないよう、腰の後ろに隠した。
「音楽って何聴いてるの?」
美咲がベンチに腰掛けると、肩までのまっすぐな髪がしなやかに揺れた。
「いや、自分で作ったの」

酔っていたせいか、吸い込まれるような目のせいか、ごまかさずに本当のことを言ってしまった。
「え 凄い!聴かせて!」
「いや、まだそういう段階ではないというか、誰かしらに聴かせるために作ったとかではなくてやな……」
「聴きたい!」

美咲は速度のある声で、僕の言い訳を跳ね除けた。目を輝かせて、手の平をグッと差し出した。
足が強張ったが、美咲に吸い込まれるようにイヤホンを渡していた。

百を超える曲を書いてきたが、他人に聴かせるつもりなどなかった。でも、もし、聴かせたらどうなるのか。物の本の一章をめくるような興味と期待で、ウォークマンの再生ボタンを押した。

美咲は耳のイヤホンを手の平で押さえ、じっとしている。くるりと上を向いたまつ毛の目には、固睡かたずを呑んでいるような真剣な色が現れていた。公園の明かりが白い横顔に反射していた。

「感想を待つ長さ」を初めて知った。無言で待っている間、夜の公園にシャカシャカと音漏れが響いた。水に潜って息を詰めているような、あまりに長く感じる三分間だった。

水面から浮上するように、美咲はイヤホンを外して顔を上げた。
「すごい……プロみたい……感動した」
美咲の目が濡れていた。
「感動って、大げさな……」
「本当だよ!感動したよ!凄いよ!」
感動を得るまで、苦渋に悶えながらロックを聴き続けた修行僧としては、すべての想定を上回る言葉だった。

美咲は両手を合わせて「そっか!川嶋くんが学校来ないの分かった!」と言った。
「え?理由とかないけども」
「ミュージシャンになるからでしょ!」
「ミュージシャン?NIRVANAとかOASISみたいな……?」
「なにそれ?グループ名?」
美咲は首を軽くかしげて、身じろぎもせず聞いてきた。
「え、まぁそうかな。グループ名……うん、たぶんそうやな」
「私、歌だったらBoAとかジュークとか好きだよ!愛内里菜とかあゆも!最近だとストロベリー・フラワーとか!川嶋くんは?」

「ツェッペリンの2nd……」

馬鹿みたいだった。


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