価値の所在
最近は積極的なインプットを避けています。
理由としては
インプットのしすぎは見るもの全てが見た事があるように感じて
ちょっとだけつまらなくなってるからと言うべきかもしれません。
でも、なんとなく、そんな時ってありませんか?
なんだか理解はできるんだけど
腑に落ちない事というか
そういう感じもある気がするんです。
ただ、自分の中での波というか、流れの習性で
こういう場合は急な「横殴りな波」がくる前兆なのもわかっています。
というか、その準備をしっかりとしていたというべきかもしれませんね。
ちょっとここから意味不明な事を書くかもしれませんが
全然スルーしてもらって構いません。
ほぼ自問自答なので。
ここ最近は価値の所在がどこにあるのかが妙に気になっています。
例えば、ラグジュアリーな材料を使ってより良い物を作るのは
価値の創造というよりかは、元々ある価値の形を変えたと言えるじゃないですか。
もちろん、形を変える事は創造ではあるのかなと思うのですが、、、
そこに求めるものもあるにはあるのですが
今、少しだけしっくりこない自分がいます。
幼い頃、石集めが好きでした。
私は石の中で黒曜石が好きだったんですが
これって調べてみると特別良い素材(ガラスの類)ではないんですよね。
火山岩の一種なので、別に特別に良いというよりかは
なるべくしてなったモノという感じ。
もちろん、場所によっては珍しいのかもしれませんが
割とそこまで希少なのかといわれたら微妙なラインなのでしょう。
しかしながら自分にとっては
変え難い宝物で価値があったんですよね。
この価値と、先に説明した
ラグジュアリーな素材を使ったものの価値って
同じ『価値』という言葉にしたら一緒だけど
なんか違うじゃないですか。
無い頭で考えたところでどうにもならないのですが
最近は、この価値の所在がどこにあるのか?
そもそも『価値』のある無しって何よ
とすら思っています。
いやいや、でも価値とは「自分が決めるべきもの」だろ!
ということなんだと思うのですが
ただ不思議なもので「自分にはわからないもの」にも
価値を認識できたりするじゃないですか。
それって、少しぶっ飛んでいるかもしれないのですが
「なんか発してる」と思うんです。
ドラゴンボールなら『気』
ハンターハンターなら『念やオーラ』
呪術廻戦なら『呪力』
地獄先生ぬ〜べ〜なら『霊力』
そんな、目に見えない価値の存在は「無いのにある」
そう考えると、、もはや考えることなんか無駄なのかもしれませんね。
もう少し肩の力をぬいて五感で感じる事を
もっと大切にするのもいいよなっていうか
言葉にすればするほどに
価値というものが霞んでいくような
そんな何かの形にはめこめるようなモノではないのが
価値なのかもしれません。
長くなりました。
募る想いをのせたい気持ちが強すぎて
キモい文になりました。
ラブレターならフラれます。
マジでぴえんです。(きっつ)
全部、忘れてください。
今日の本題、スタートです。
価値のあるものとされるもの。
それは色々な形があります。
世界的に決められた規範をもって測られる価値。
これは見えぬ価値を可視化する上で大事なことだったんだと思います。
でも、様々な文化が生まれては消えてを繰り返し成熟した今
改めて、価値ってなんなんだっけと思う機会が増えたようにも感じます。
それは仕事柄、どうしても洋服のことになってしまうのですが、、
なんだか妙に、この判断基準が軽視されすぎていないかなって思っちゃうんです。
考えすぎなのかもしれませんが、そこにリスペクトがあるのか?
どうなんだろうと、、、
少なからず、個人的には『価値』は簡単に見えるものではないよなって
思っていたりします。
さて、お気づきの方もいるかと思いますが新たなブランドのご案内でした。
こちらの主催者である赤羽さんは本当に柔らかな方で
あぁ、こう言う人になりたかったなと笑
ただ作るものや提案するものはいい意味で裏切るように力強く
凄まじい勢いで、『点』で突いてくるものが多い。
様々な人に突き刺さるように『面』でいくのではなく
自身の納得のいくものという『点』の提案。
見事なまでに私に突き刺さり、ご案内に至ります。
というわけで、BLACKBIRDの取扱を
山形のtatazumaiizimaiにてスタート致します。
今回ご案内のジャケットに関しては店頭にてご案内をスタート致します。
オンラインストアに関しましてはストックのご用意が叶う場合に限り
8月19日17時頃に掲載致します。
何かご質問等がございましたらご連絡いただければ幸いです。
それでは!
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