TOKYO COMPLEX 「Introduce」

コンプレックス、という言葉は主に心理学・精神医学で用いられてきた言葉であり、「観念の複合体」の意である。
そこから派生し、いわゆる「劣等感」と呼ばれる言葉の意味合いを持つようになった。

東京は言わずもがな、日本という国における首都である。
約2,200平方キロメートルという全国で下から3番目の面積でありながら、約1,300万人の人口を有し、全国1位の記録を持っている。

その数字から察するに純粋なる東京出身者というのは少ないことが予想される。かく言う私も出身は北海道である。東京都出身ではない。
僕が上京するきっかけは大学進学であり、同級生と呼べる同学科同学年の数は45名であり、そのうち東京出身はわずか2名。
そう考えてみると東京を構成する人たちは他エリアからの出身が多く(それこそ海外からの人もいる)、こうした人たちによる「複合的な街」と言える。

さらに言うと街の造りも複合的だ。
私が良く使っていたJR中央線の駅を見ても他エリアからみると主要駅とも呼べる規模の駅が連なっている。
東京メトロが毎年展開しているPRCMが好きなのだが、共通して言えるのが「自分の知らない東京と出会おう」というコンセプトに紐づいている。東京は様々な特性のエリアをミックスさせた「複合的な街」なのだ。

こうした、人、街、どれをとっても複合的である東京。
2009年の3月30日。私は東京に住み始めた。

東京に住んでいた期間は大学生だった4年間。
卒業後、1年に1,2回ほど東京に足を運んでいる程度。
しかし、この4年間プラスアルファの東京生活は今の自分に多大な影響を与えている。
当然ではあるが、上京という選択肢がなければ今の自分はいない。
そして、東京と言う土地を離れ、早4年。東京に住んでいた期間よりも
もはや長くなってしまっているが、それでも東京と言う街を思い返す。
2017年5月のゴールデンウィークは高校時代の地元の友人と東京に旅行に行き、様々なエリアに訪れた。
するとどうだろう。私の中の(不必要なまでの)感受性が揺さぶり、自ら東京という複合体への融合を試みようとするのだが、なかなかうまくいかない。そして、抱くのが「劣等感」なのだ。

前々から「東京」をテーマに何か作りたいと思っていたが、ゴールデンウィークでの東京観光で抱いた劣等感が今回、言葉を綴る切っ掛けとなった。

このエッセイは「東京」をテーマとし、主に私が実際に住んでいた4年間を軸に話を繰り広げていく予定だ。
すでに東京をテーマにしたエッセイでは又吉直樹氏の「東京百景」という名作があるのだが、彼のエッセイとの違いとして同じ街が何度か出てくる可能性が高い。理由としては「街は新陳代謝」という考えが私にあり、当然ではあるが、月日の経過で街は様変わりするため、緯度経度的観点では同じ街でも時系的にみると異なる街であるため、同じ街名でも異なる街であると考えたい。また、住んでいた期間も考慮し、主に多摩地区、西東京付近に題材が偏りがちになりそうなことを先に述べる。
又吉氏は「東京百景」のまえがきにて「東京は果てしなく残酷で時折楽しく稀に優しい」と述べている。
私が綴る言葉の先に見える東京の姿は何なのだろうか。

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