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同性婚について考える #10 ゲイと呼ばれる男

実際ゲイってなんなんでしょうね。
セクシュアリティってなんなんでしょうね。

ゲイというグループ

ゲイだから同性が好きなのか、同性が好きだからゲイなのかと問われれば、まあ後者なのかなと。
前にセクシュアリティについて説明したときに、セクシュアリティは人の数だけあるって言った記憶がうっすらぼんやりあります。
これ、バイだとわかりやすいですかね。
バイの人って、男女両方とも好きになるわけですが、その比率が人によって違うみたいなんですよね。
ゲイ寄りのバイ、レズ寄りのバイ、ヘテロ寄りのバイ…。
比率は違えど、両方行ける人達のグループをただバイと呼んでいるだけなんですよね。
それと同じで、性自認が男性で性的指向が男性な私はゲイというグループに入れられ、そう呼ばれているだけなんですね。
セクシュアリティのグループ分けをしたときに、私のセクシュアリティがゲイというグループに近い、ただそれだけなんです。

セクシュアリティは人生らしい

セクシュアリティは人生だを公開しているもちぎさんが、以前インタビューでおっしゃっていたことです。

――現在はpixivコミックでマンガも連載されていますね。タイトルを『セクシュアリティは人生だ』としたのはどういう理由からですか?

セクシュアリティの事を話すと、どうしても夜の生活の方はどうだ、恋人がどうだとか、性事情の話ばかりに焦点が当てられます。あたいが思うにセクシュアリティは自分自身の一部なだけであり、そこから広がる全ての道も人生の一部なわけです。だから「セクシュアリティは人生だ」とつけました。

セクシュアリティから広がる全ての道も人生の一部、たしかにそうだなと。
そしてそれも人それぞれなんですよね。
誰一人として同じ人生を歩む人はいません。

今更ですが

このノートを書いているのは、私が私のセクシュアリティで私の人生を送って思ったことを私なりに書くことによって、こういう人がいるんだってちょっと心の隅にでも残ってくれたら嬉しいなって思ったから。
そして、私なりに同性婚について考えることによって、いろいろな見方が私にもみなさんにも身についたらいいなと思ったからですね。
だから自分自身の立場に立って書くこともあれば、別の立場で偏見を持った状態で書くこともあるんですね。
上のようにセクシュアリティは人それぞれと言ってみたり、特定のグループを一括りにして言ってみたり、根拠を持って言ってみたり、自分の考えで言ってみたり。
これは調査のまとめではありません。
ここに書き連ねていることは、私が、私のセクシュアリティの中で送ってきた私の人生を、私の目を通して見て、私なりに自由気ままに書いているだけなんです。
ただの私の思考の記録なんです。
まったりゆるゆるとご覧いただけたら幸いです。

ちょっとお別れ

ということで、私、4月1日からとある山奥に2週間ほど行くことになります。
というか、生活環境がガラッと変わります。
そのため、私が落ち着くまでこのシリーズは書けません。
まあちょうど書きたいことはとりあえず尽きた気がするのでちょうどいいんですけど。
最近の文量の減りとまとまりの無さからなんとなく察していたと思いますけど。
またいつか戻ってくると思いますので、そのときはどうか、またこのゆるーい思考記録を読んでほしいなと思います。

それでは、お元気で。

………ホモフォビアについて書こうと思ってたんだった…。

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