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同性婚について考える #9 「なんでもあり」なのか

私は同性婚について賛成であるという感じで今までノートを書いてきたわけですが、同性婚について考えるのですから、当然ネガティブなことも考えるわけです。

「なんでもあり」なのか

前回ご紹介した台湾の方の在留許可の記事ですね。
こちらのコメントにこんなことが書かれていました。

パートナーが複数いる場合もOKなのだろうか?ふつうに恋人同士でもいいじゃないかとか、どこかに境界線を引かないと「なんでもあり」になりそう。

セクシュアリティは本当にいろいろあって、私が知っているのはごく一部です。
私も詳しくないので、詳しいことは下の記事を読んでほしいんですが、ポリアモリーというものがあります。

これは複数の人と同時に恋愛することです。
浮気や不倫とは違い、合意が取れた上でするものです。
似た言葉にポリガミーというものがありますが、これは一夫多妻制や一妻多夫制を示す言葉です。
(わかりにくい&面倒なので以下ではポリガミーのことを「一夫多妻制」と呼びます)
ポリアモリーは一夫多妻制の恋愛版という認識をすれば…いいのかな?
これはそういうライフスタイルなのかセクシュアリティなのかという議論もありますが、ここではポリアモリーをセクシュアリティとして考えます。
とすると、性的少数派に婚姻関係を認めるとき、ポリアモリーのためには一夫多妻制を認める必要があります。
すると、同性婚の次は一夫多妻制を認めるのか、ということになります。
この線引きが難しいんです。
同性婚を認めたんだから…と芋づる式に主張が増え、結果「なんでもあり」になってしまうと考えることは自然でしょう。
セクシュアリティに優劣もありませんから、何をどこまで認めるかという議論は果てしなく続きます。
だから同性婚を反対するという人も少なくありません。

同性婚を叫ぶ同性愛者に問いたい

私もそうですが、やっていることが「同性婚に反対する異性愛者」と同じじゃないですか?
「多数派のセクシュアリティが恩恵を受けているのだから」と反対する異性愛者と同じじゃないですか?
ここでは同性婚の恩恵を受けるとしてバイも同性愛者として扱います。
とすると、婚姻制度の恩恵を受けていない中では同性愛者が多数派なんです。
多数派の自分たちが恩恵を受ければいい、そんな流れになっていませんか?
同性婚を認めさせることは、婚姻制度の恩恵を受けていない中での次の多数派をまた生み出すことなんです。
自分たちのやっていることは、線引きを難しくさせることなんです。
その自覚はありますか?

私としては同性婚が認められることは嬉しいことです。
でも、本当にこのまま推し進めちゃっていいんですか?
「なんでもあり」な世の中になりませんか?

じゃあどうすればいいのさ

わかりませんけど、結局の所、パートナーシップ制度くらいが妥当なのかもしれませんね。

渋谷区のような法的拘束力があるものを国でやってもらえたら。
フランスのパックスみたいに。

……ま、いろいろ言ってきたけど細かいことを考えず本音を言えば同性婚認められてほしいよね。

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