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偶然アソビが仕事になったけど

僕の今の仕事は主に子どもと遊ぶことだ。

毎日毎日同じ子どもと同じゲームをして遊ぶ。それをもうかれこれ4ヶ月続けてきたのだが、仕事中にそれ以外やることがなくて暇だからという理由が半分、普通に子どもが可愛いし楽しいからという理由が半分で、そこまで苦ではないので、子どもと遊ぶという点に関して少し自分の中に才能のようなものすら感じ始めている。

そこで、いつかの自己啓発本で読んだ「遊びを仕事にせよ」的なメッセージが頭をよぎる。今もかもしれないが、一時期こういった類のメッセージが強烈に世に放たれまくった時期があり(正確には僕がそのようなメッセージばかり摂取していた時期があり)、むしろ遊ぶように仕事ができなければ勝てない!とまで断言され、それは「好きを仕事に」や「やりたいことをやれ」などと同類のメッセージとして社会に浸透していった。と僕は記憶している。

これらのメッセージを放った人によって意図が違うし、解釈もそれぞれなのだが、僕は現在偶然にも“遊ぶこと自体が仕事”という状態にある。だが、じゃあそれを手放しで人に勧めることができるかと言ったら答えはノーだ。

というのも、僕が仕事でずっと遊んでいられるのは、立場的に下っ端でしなければならない仕事、例えば事務作業などがほとんどないからだ。その分、もちろん仕事に責任も背負ってなければ、他の人と比べて間違いなく給料も低い。ドイツと日本で圧倒的に労働環境や仕事の根本の構造が違うので一概には言えないのだが、資本主義におけるビジネス、仕事というものについて構造的に考えたときには全員が遊びを仕事にすることは不可能なのだ。

多様性という言葉を用いて、掃除をするのが好きな人もいるからそういう人が掃除をすればいい!と主張する人がいて、同様にあらゆる場面でみんなが自分の好きなことを仕事にすればいいじゃないかという夢物語を言う人がいるが、それでは社会が成り立たないのだ。それが成り立つのであれば税金なんて必要ない。

そんなことを仕事で子どもと遊びながら考えている。

でも、これだけは資本主義がどうとか税金がどうとか関係なく言えるのではないかというのがある。それは、どんな仕事も自分の捉え方や取り組み次第で、遊ぶように遊びのようにすることはできるということだ。

ゲーム感覚で制限時間や達成した時の報酬を自分で設けてみても面白いだろうし、モンスターハンターで仲間と違う武器を持ち寄りながら狩りをするように、お互いの特徴をどのように活かして協力すれば問題を解決できるのか目標を達成できるのかを考えるのも面白いだろう。

好きなことややりたいこと100%で仕事をすることはきっと大半の人にはできないが、こうしてどんな難題もゲーム感覚で遊びながら目の前の仕事をやっつけていくことで楽しめたり仕事を好きになれたりすることは大いにあると思う。

仕事だけでなく目の前のモノゴトを楽しめるかの裁量権は9割自分が握っている。故に、やりたいことを仕事にしようとか、好きなことを仕事にしようとか無理に探さなくていいし、今の仕事が好きじゃないことに落ち込まなくてもいい。目の前を楽しいものにするのかしないのかは、9割自分がコントロールすることができるのだから。

と、またありきたりな話をつらつらとしてしまったことに反省しながら、いつものように床に入るのであった、、、。




かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、プロ契約を目指し20歳で渡独。23歳でクラウドファンディングを行い110人から70万円以上の支援を集め挑戦するも、夢叶わず。現在はドイツの孤児院で働きながらプレーするサッカー選手。

文章の向上を目指し、書籍の購入や体験への投資に充てたいです。宜しくお願いします。