ドイツで蒸発しないように
いつものように髪を切りに行く。僕が住んでいる小さな田舎村にある小さな床屋に。
僕ももうこの村には3年ほど住んでいて、いつも髪を切ってくれるイケてるおじさんとは顔見知りだ。散髪中にフランクに話すほどの中ではないが、電話で予約をとるときも特に名前など聞かれない。いつも予約帳になんと書いているのか気になる。「日本人」とでも書いているのだろうか。
まぁいい。
髪が長いのは鬱陶しいから、1、2ヶ月に1回くらいのペースで一応、床屋にいくようにはしているのだが、僕は床屋に行くのが嫌いだ。「髪よ、もっと遅く伸びてくれ」と何度願ったことか。できるのであれば、一生行きたくない。
なんせ、特に髪にこだわりとかないし、特段おかしくない髪型で短く切ってくれればそれでいい。東京に住んでいた頃からそうだった。髪を染めたこともなければ、パーマやら伸ばして遊ばせたこともない。残念ながら髪で遊びたいと思うタイプの人間ではない。
だから、ドイツに来た当初からいつも全く同じ写真を見せ、「これっ」と言って注文していたのだが、なんか今日は違った。写真なんか見せずに、言葉で「横をこのくらいの長さに、上はそれに応じて短く。まぁあとは君に任せるよ」などとさらっと注文していた。
床屋のイケてるおじさんと散髪中に話してて、最後に彼が言ってくれて初めて気づいた。「ドイツ語、めちゃ上手になったね。今までは写真見せて、これって言ってたのに。」と。
散髪中も自然体で自分から話しかけていて、バカンスの話をしたり、サッカーの話で盛り上がった。今回の床屋での一連の流れに満足している自分に気づき、床屋への苦手意識というか嫌いな自分も少しだけいなくなっていた気がする。
僕も3年半かけてやっとドイツに染まってきたのかもしれない。ドイツ人と生活を共にし、1日の9割をドイツ語が占めるようになり、ドイツ人が食べるものを食べるようになった。それにつられて、思考が合理的や現実的な傾向になり始めた自分にも気づくが、どうやら食べるものも変わり、日常で使う言語も変わり、ようやくドイツ人に近づいてきているのだなと。
それがいいのか悪いのかはしらないし、海外に何年住んでも、染まれない、染まらない、染まりたくない日本人はたくさんいて、それもそれでわかる。
ただ、僕はせっかく海外に来たなら半分くらいは現地の人間に染まってみたいし、日本人としてのアイデンティティは保ちつつ、“日本人として”彼らの文化に溶け込みたい。
水が沸点で液体から気体に変わるときのまさに100℃の状態がもしかしたら今なのかもしれない。僕が望んでいた理想の状態になってきた。ただ、僕の全てが蒸発して染まらないように、95℃くらいの自分でこれからもドイツ文化に浸かりながら過ごしていこうと思う。
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