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歴史を変えたシューズ・変えられなかったシューズ①~禁断のシューズと言われたブラシシューズ~

・はじめに

スパイクシューズの始まりは、1895年イギリスのロンドンで「靴の裏に釘を打ち付けたシューズで走ったところ速く走れた」このシューズが源と言われています。ちなみにこのシューズを製造販売したのがリーボックの始まりです(ABCマートのページ)。

そして今回話す1968年までには、スパイクシューズの市場はアディダスが席捲します。アディダスの元販売代理店員は「1位がアディダス、2位はなし、3位がプーマ」というほどです。

そして迎えた1968年、陸上競技場は全天候型グラウンドのタータングラウンドが造られました。それに向けたスパイクも、アディダスが最強のシューズを製造すると思われました。

ですがここでプーマが斬新なスパイクシューズを造るのです。

68本のスパイクをもつプーマのブラシスパイク:PumaのHPより

・68本のスパイクをもつ伝説のプーマのブラシシューズ

当時は4-6本の釘のようなスパイクをもつシューズが主流でしたが、なんと68本のスパイクを持つまるでブラシのようなシューズを開発したのです。1本の長さは4㎜程度で、1968年にちなんで68本にしたとのことです。

その年のオリンピックは高地のメキシコシティ開催でしたので、その年の全米予選も標高2250mのエコーサミットで開催されました。高地でタータントラック、そしてこの「禁断のシューズ」を履いたことにより記録が連発したのです。そして当時200m20.0秒の世界記録保持者のトニースミスを破り、このスパイクを履いた大学生のジョン・カルロスが19.7秒の世界記録を出しました(電気記録の公式は19.97秒)。

・その後のメキシコオリンピックでは

ですがその全米予選から約1ケ月のメキシコシティオリンピック。そこではこの「禁断のシューズ」は用いられることはなく、全米予選の世界記録も公式記録には残っていません。
そこには色々な事実と証言、憶測からつくられた物語が残っています。

・アディダスがこの「禁断のシューズ」を真似てオリンピックまでに造り上げようとして失敗したこと。
・アディダスが国際陸連に献金して「禁断のシューズ」の禁止を要望したこと。さらにアスリートの買収も?
・結果国際陸連は「タータンが痛むのを防ぐため」ということでこのスパイクの使用を禁止し、短期間に更新された男子200m・400mの世界記録を取り消した。
・そしてメキシコオリンピックでは、従来のシューズでトニースミスが世界記録を出した。
・のちの検証では6人中5人が、このブラシシューズを履いた方が速く走れた。

<引用>
・How 68 spikes scared off the competition:PUMAのHPのアーカイブより
・A Brush With Greatness: The Puma Shoe That Upended the 1968 Olympics:Sports IllustratedのHPより
・男子200mの世界記録の推移:Wikipediaより

・そして今スパイクは? さらにNikeに対してIACCは・・・

そして現在のスパイクシューズは、スパイクは11 本以内との取り決めがなされています。(World Athlete陸上競技用靴規程:日本陸上競技連盟公式サイトより)
幻の世界記録を出したカルロスさんは、のちの書籍の出版にあたり取材で「アディダスが国際陸上競技連盟に大金を注ぎ込んだ。その結果その靴がなくなってしまった。」と語っています。

この時のことはナイキの厚底シューズの世になり、また注目されています(このことを参考文献に挙げた文献)。

規制が速やかに行われて世の中から消えたブラシシューズと、発売から3年を経てようやく規制(おおよそ認可)されたNikeの厚底シューズが、どのくらい記録に影響したのでしょうか。また次回②で書いてゆきます。

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