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【音楽雑記#40】Lantis

昨日、ここ3年くらいの仕事を思い出しながら、何に気をつけて仕事をしていたのか、じっくり時間を取ってまとめる課題があり取り組んでみたが、自分で記載のための「ルール」を設けないと、スムーズにアウトプットが出来ない思考に陥っている自分に気づいた。

確かに「論点思考」や「イシューからはじめよ」など、コンサルタントの人が好きそうな本を一時期たくさん読んだり、そういう思考法に苦手意識があることから、その手のインプットに取り組み、結果として、いわゆる「フレームワーク」に助けられるシーンというのは沢山あったが「とにかく、フレームワークでも使って、スピーディーにその課題を解決するために」ということで、行動が無意識のうちに制限されていることにある種の恐ろしさを感じた。

よく、家庭で奥さんと話していても「課題解決を求めているわけでない」と、怒られるシーンは「あるある」と聞いていたものの、そういえば、思い返してみるとそれで喧嘩になったことも・・・ご多分に漏れず、自分もその状況に陥るとは・・・そして、自由な発想の議論や、とにかく自由に発言してみるという空気感も忘れてしまっている節がある。

元々、仕事とプライベートをハッキリ分けることが出来ない性格の自分は、オフィス内でダラダラ生まれる会話から仕事の解決の糸口を見つけるのが得意だった。売れない物件に監禁され、売り切らないと次の仕事にありつけない極限状態から生み出される「集中力」だったり「営業トーク」だったり。何とか口説き落としたい候補者と面談途中、ちょっとお互い休憩がてら事務所に戻り、相談して出てきた話がヒントになり、進むべき方向が明らかになったり。企業訪問の行き帰りの電車で話す、最近のトピックや、そういえばこんなことも聞いておこうぜ、みたいな、軽い打ち合わせから生まれる発想だったり。そうした、偶発的な成果の再現がリモート上だと、どうしても難しい。

リモートーワークになり生産性が上がっていることは否定しないし、クリエイティブな業務が必ずしもリモートだと出来ないというのは嘘になるだろう。ただ、振られた仕事の解決を日々考え、無造作にどんどん設定されるリモート会議の設定意図を都度確認し、適宜、その課題を解決するための方法としてフレームワークを多用し、淡々と仕事を進めていくことは果たして正解なのだろうか?では、話題のメタバースなどは、その有力な代替手段になり得るのだろうか?

この前、久しぶりにオンラインで集まり、カフェで話しながら、仕事について話すのは、純粋に楽しかった。(相手はどうか分からない。)最早、この辺は価値観の違いであり、それこそ企業・組織カルチャーが重要なポイントになってくるのだろう。

▼思い出

アニソンを振り返っていて「Lantis」の名を思い出した。

今、Webサイトを訪れても全く最新情報をキャッチアップできていないが、当時、このサイトを見ない日はないくらいハマっていた。すべての楽曲に耳を傾け、お金をツッコミ、友人たちとシェアした。マイナーなアニメのキャラソンにまで手を出し、時間もお金も足りない日々だったが、充実していたのだろう。友人同士で車を運転していた富士急のLantisフェスは、本当に楽しかった。(行きの車の中で事故り、死にかけたことを含め、良い思い出だ・・・w)

久しぶりに、このへんの界隈を漁ってみるか。

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