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piece 10:日々の上にある階層

階層を意識する

「アウトライナーで文章を書くようにデイリータスクリストを作る」ことについて見てきたけれど、同じ考え方はデイリーだけでなく、ウィークリーにもマンスリーにもイアリーにも適用することができる。

もちろん、作れるからといって機械的にウィークリーやマンスリーやイアリーのアウトラインを作るのがいいのかというと、たぶんそうではない。ただ、デイリー(=今日)について考えるとき、それはもっと大きな時間の一部だと意識することは重要だ。

アウトライナーを操作しているとわかってくるのは、目の前の階層についてだけ考えていてもうまくいかないということだ。単なる「デイリータスクリスト」を眺めていると、このことになかなか気づけない。

文章でいえば、第2章第1節に何を書くかは、第2章に全体として何が書かれるか意識しなければ決められないというのと同じだ。そして第2章に全体として何が書かれるかは、第1章や第3章との関係によって決まってくる。今書こうとしている部分だけを眺めていても書けないのだ。

また、第2章第1節を書きながら「ここでこういうことを書くのなら第1章であのことに触れておくべきだな」と思うことがある。あるいは「そもそも第2章より前に第3章を持ってきた方がいいかもしれない」と思うこともある。第2章第1節の内容を考えることによって全体が変化するのだ。そのときの思考は、階層を一段上がっている。今いる階層よりひとつ上の階層から全体を眺めているのだ。

これはアウトライナーがどうという話ではなく、ごく自然に行われることだ(そうでなければ人に読める長い文章なんか誰にも書けない)。でも、たとえば章ごとにファイルを分けて書いていると(よく行われることだ)、こうした思考の階層移動は起こりにくい。今いる階層に思考が縛られがちになる。なぜなら目の前にはその階層しかないからだ。

ごく自然に行われるはずのことが(ツールやメディアの限界によって)阻害される。それが文章を書くことの難しさのひとつの要因なのだが、同じことがタスクを扱うときにも起こっている。

文章と同じように、今日何をするか考えるためには、今週、今月、今年……を意識する必要がある。今日という時間は、今週や今月や今年の中にあるからだ。逆に「今日やること」について考えているときに、今週中にやっておくべきことを思いつくこともある。今日のちょっとした思いつきが、年単位の大きなDOにつながることだってある。「今日」について考えることが、もっと長いスパンの時間の再検討を促すのだ。

当然ながら、デイリーの中だけで考えていてはそれらに対処できない。階層を上がる必要があるのだ。そうしないと、デイリーという枠の中で思考は目詰まりを起こす。だからこそデイリーを考えるために(そのためにこそ)上の階層が必要になる。たとえばデイリーアウトラインに「できれば」という項目を作ったけれど、何を「できれば」に落とすかという判断をするとき、実は上位階層を意識している。

≠「上の階層から落とし込む」

この上位階層話には誤解を生む余地がある。階層を意識するということは、今年→今月→今週→今日という具合に長期スパンの計画から短期の計画へと落とし込むという意味ではない。タスク管理の文脈で階層の話をするとそういう誤解をする人が少なからずいるけれど、それではあらかじめ作ったアウトラインにもとづいて文章を書こうとするのと同じことになってしまう。

必要なのは、上の階層があることを意識し、今いる階層を考えながら、自然に上の階層に視点を移すこと。そしてそれを阻害しないようにすることだ。

デイリーに対してどんな上位階層が必要なのかは、人それぞれのニーズによって変わってくる。週ごとの区切りが重要な仕事をしているのならウィークリーがあれば便利だろう。仕事によっては「四半期」のような区切りがあるといいかもしれない。多くの人の感覚にマッチするのはデイリーとイアリーとの組み合わせだろうか。とにかく機械的にイアリーやマンスリーやウィークリーを作るべきではない。

ぼく自身は、デイリーの上位階層として「今抱えているDOすべて」を入れたアウトラインを置いている。今月や今年といった時間の区切りはないが、強いて言えば「現時点でイメージできる将来のDO」ということになるだろう。このアウトラインにはALLという名前をつけている。そのさらに上位に「人生」についてのアウトラインがある。これだけあれば目詰まりを起こさずに考えられる。

ちなみにデイリーに対して2つの「上位階層」があるように書いたけれど、実際にはこれらはアウトラインの中では同じ階層に並列に置かれている。実用上はその方が使いやすいからだ。

大きな「できれば」

階層とか思考とか小難しいことは抜きにして純粋に運用上から考えても、デイリーアウトラインをデイリーとしてのみ考えることは難しい。「できれば」に落ちたDOが日々溜まっていくからだ。

「できれば」に落ちたDOは翌日に実行されればいいけれど、翌日もやはり「できれば」に落ちてしまうケースも多い。実際には数日〜数週間単位の時間を要することがわかる場合もあるし、諸事情ですぐに手をつけられないものもある。シンプルに何日たってもやる気にならないものもある。放っておけば「できれば」だけが膨れ上がっていくことになる。当たり前だけれど、一日を超えるスパンの「できれば」を置いておく場所が必要なのだ。

そうしたものはいったんALLに入れておく。ALLは「現時点でイメージできる将来のDO」なのだが、それはつまり長期スパンの「できれば」でもある。先送りを繰り返しながら何度も「できれば」に落ちてしまうようなDOは、いったんALLの中で考える。タスク管理のセオリー通り細かくブレイクダウンして実行しやすくすることもあるし、そもそもどんな「つもり」だったのか、アウトラインを動かしながらあらためて考えることもある。

もちろん「できれば」と関係なく、やりたいこと、やらねばならないことはALLの中に入っている。大きいものも小さいものも交じり合ったアウトラインの中で、DOはブレイクダウンされ、レベルアップされ、グルーピングされ、並べ替えられ変化していく。あるいは新たなDOが生まれてくる。ALLはそのための場所だ。

ALLは一般的なタスク管理用語ではおそらく「プロジェクトリスト」に近い。ただ、いわゆるプロジェクトリストよりもずっと柔軟で乱雑で自由だ。単独のタスクから目標に類することまでが書かれている。下の階層の「今日」と、(ここでは詳しくは触れないけれど)上の階層の「人生」とも密接に結びついている。

そこで起こることを眺めていると、ビジョンを実現するために考えたディテールがビジョンそのものを変えてしまうことがよくわかる。

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