昭和の男たちのそれを待つ

散歩の途中、昭和の風情の残る商店街から脇に入った路地で、とてもひさしぶりに「立ち小便」というものを見かける。

二人連れのおじさんが、仲良く並んで。

すぐそばにはコンビニもあるし(そこにはトイレがある)、ミスタードーナツもあるし(そこにはトイレがある)、小さいけれど駅もある(そこにはトイレがある)。

二人の風情には「どうしようもなく」「やむにやまれず」という切迫感も感じられない。むしろのんびりと平和に、商店街を大音量で流れるお正月BGMの琴の音色をバックに、談笑さえしている。

子どもの頃、周囲の大人の男たちは当然のようにそれをした。そしてお前もしろとぼくにせまった。

昭和の日本は、ずいぶんと野蛮だったのだ。

ぼくはそれをしなかった。だからその辺で立って待っていた。何ら恥ずべきところはない。

けれども、男たちのそれが終わるのを、ひとりぽつんと待っているときの心持ちは、不思議な弱小カテゴライズ感とともに記憶されている。


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