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Speak,Easy.

奈良に行くなら、Vol.1


ダジャレを言いたいわけではない。考えてみてほしい。京都なら祇園祭や嵐山の紅葉など、誰しも一生に一度は訪れてみたいと思うだろう。大阪なら甲子園球場で阪神タイガースの試合を観戦したり、(厳密に言えば、甲子園球場は兵庫県西宮市にあるのだが)昼から居酒屋を何軒もハシゴしたり、文字通りの酔狂を体現できるだろう。

では、奈良に行く、となったらどうだろう。東大寺の大仏、奈良公園の鹿、吉野の桜など凡そ見当がつく。だが、奈良における寺社仏閣や自然には、いささかマニアックな趣を感じてしまう。わざわざ奈良に行く必要があるのか。

僕はというと、正倉院展を見に行こうと考えていた。毎年秋になると正倉院宝庫の勅封が解かれる。宝物の点検に合わせて一部の宝物が一般に公開され、年に一度奈良国立博物館でのみ開催される。これほど奈良に行くべき理由としてふさわしいものはない。だが、詳細を調べた時にはすでに閉幕していた。『正倉院展は閉幕しました。ご来場ありがとうございました』僕の気持ちはどこに向かえばいいんだろう。いや、事前に調べていなかった僕が悪い。時は戻せない。

せっかく奈良に行こうとしたのだ。中学校の修学旅行以来、足を踏み入れていないのだし、ここで諦めてしまうのも口惜しい。奈良国立博物館の他の施設を調べてみると、「なら仏像館」という記載に目が止まった。『なら仏像館は、飛鳥時代から鎌倉時代にいたる日本の仏像を中心に、国宝、重要文化財を含む常時100体近くの仏像を展示する、国内の博物館では、もっとも充実した仏像の展示施設です。』これだ。企画展ではなく、常設で様々な年代の仏様にお会いできる。ご利益もありそうだ。東大寺の大仏様も拝ませていただこう。バスを使えば唐招提寺にも行ける。ちょうど部屋で焚くお香が無くなりそうだった。いずれかでお香も買わせてもらえれば、奈良の余韻も長く味わえるというものだ。

朝のラッシュをやり過ごした駅のホームは、暇を持て余すように閑散としている。それなりに人の往来があるにしても、張り詰めた雰囲気がゆっくりと消えていくのを感じる。改札に隣接した案内所で奈良までの周遊券を買う。おおよそ1時間もあれば奈良に着くらしい。駅構内にある売店でパンでも買おうと思ったが、ほとんど売り切れているようだ。この先にも売店はあるだろう。まずは電車に乗って、少しでも早い時間帯に奈良に着く方がよさそうだ。

空は青く濃く澄み渡り、車内は穏やかな陽射しが差し込んでいる。車窓の景色が住宅街から高層マンションなどのビル群に変わるにつれ、明るさが徐々に遮られ、ついにはトンネルに潜り込んでいく。難波駅に差し掛かると、ハイキングの装いに身を包んだナイスミドルのグループが大挙して押し寄せてきた。はたして登山するほど標高が高い山があっただろうか。後になって分かったことだが、春日大社の裏手にある春日山から北上して、若草山に至るハイキングコースがあるようだ。午前中に集合して、いずれかの山頂に着く頃には昼過ぎになるだろう。奈良の市街地を一望しながらお弁当を食べ、夕方あたりには近所の居酒屋でビールでも飲んで帰宅する。悪くない。

乗り換えの待ち時間を使って、駅構内のパン屋さんでクロックマダムのようなものを買って食べた。フォカッチャのようなパンに横から深く切れ目を入れ、軽く炙った大きめのベーコンと、しっとりと潤いに満ちたサニーサイドアップの目玉焼きが挟んである。薄く均一に塗られたバターとうっすら辛子の効いたマヨネーズで味つけされている。これも悪くない。

電車は難波を出発し、どこまでも平らな東大阪の住宅地を生駒山地に向けて進む。大阪方面から奈良に向かうためには、この山あいをくぐり抜ける必要があるからだ。途中から山肌に沿って線路は大きく左にカーブを描く。左手側の車窓からは、大阪平野を眼下に一望できる。やがて大きな邸宅が目につくようになる。六甲山麓もそうだが、やはり海や街を見下ろせるとなれば、高級住宅地として開発されるのは当然だろう。もちろん、夜になれば大阪の夜景が手で掬えるほどに目の前に迫ってくる。そのまましばらく勾配を登り、トンネルで生駒山地を抜ける。

新生駒トンネルが終わり生駒駅を過ぎるころには、奈良県に踏み入ったことを実感する。高さのある建物は少なくなり、住宅よりも自然が多く見られるようになる。奈良盆地というくらいなので周囲を気高い山に囲まれているのかと思いきや、東西でおよそ10km前後、南北でも25km前後と広大である上に、標高1,000m以上の山は主に南部に多く存在するため、思いのほか真っ平で見通しがよい。それほど経たずに、電車は奈良の市街地からやや東に外れたところを終着駅としている。興福寺や奈良公園に程近いため観光地としては中心である。明確な意図をもって鉄道が敷設されていることを実感する。

改札を抜けて大通りに出ると、想像以上のインバウンド客に遭遇することになる。体感では全体のおよそ8割ぐらいといったところだろうか。まさかここまでとは思ってもいなかった。ここは本当に奈良なのだろうか。だが、ある程度の年代が判明している時期を見れば、7世紀初頭とされる藤原京の造営から、京都に平安京が遷都する8世紀末までの少なくともおよそ200年、奈良周辺は日本の首都であり続けたのだ。それだけの歴史的資産があるならば、物見遊山のインバウンド客がいることは当然のことだ。「あをによし」は奈良に掛かる枕詞だが、時代の経過に伴い奈良の美しさを表す意味を含むと解釈されるようになったという。その土地に深く刻まれた人々の息づかいが、時間の経過により独特の雰囲気を持つようになるのだろう。

(Vol.2へ続く)


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