見出し画像

【582/1096】生きづらさについて(ちょっと長め)

なんでもフリーで見たり聞いたり
昭和とは全然ちがう
自由度が高いように思うけど
生きづらい人は断然多い
なんでなんだろう
ずっと考えている

あらゆるジャンルの正解が
事細かに記されているからかな
ぼんやりと思う

昔は、なんていいたくないけど
わかりやすい正解はなかった
その中での初めての子育て
調べるのもiモードの時代だし
大して情報もなく心細かったけど
ある程度の方向性を道しるべに
試しだめし
自分なりに進むしかなかった
当時は苦しかった
下の子のときもスマホが出たくらいで
今ほどの情報はなく
それはそれで
よかったのかもしれない
(きみの終わりを考えると
違うかもしれないけどさ)

もし今であれば
すでに明確化された
子育て情報はあふれていて
知らぬうちにはみ出さぬよう 
調べ出てきた正解とされるものを
吟味せずに選択してしまう気がする
お気に入りのセレクトショップで
ここで買えば大丈夫みたいな
正しいとされるものを
考えるよりも先に選ばされる
ときにライフハックも取り入れつつ
ゆるい情報も結局他人の正解で
自分で手にするもの、生み出すものは
かなり少ないのではないか
当時のわたしなら
迷うことなくそれらを信じただろうし
うまくできないであろう自分は
そのレールからこぼれ落ち
そのことに苦しんだだろうな

多少大人になれていれば
レールから外れても他の道を探ったり
レールがいらなかったことにも
気がつけるんだろう
自分の好むジャンルに
細かな正解の提示が存在する若者は
それらを素直に取り入れ
若さゆえにまっすぐ進める
メイクであれば
ファンデーション、下地、日焼け止め
細かくブランドも種類も表示され
ゆらぎなくそれらを選ぶ みたいな
自ら吟味しているようで
それらは表示されたもので
それ以外のものは目に入らない
正解があるおかげで
他のものは入れさせてもらえない

一軍に入るのが正解
仮にその思念をのぞめば
入れなければ不正解でお先真っ暗
そんな短絡的な?
と思うかもしれないけれど
人々を縛っている価値観は
巧みに入ってくる とても自然に
大道とされていたものは
その名に反して
かなり狭く作り込まれた道
懐は深くないので
すぐに人を弾き出す

弾かれたものは悩む
不正解になってしまったのは
自分のせいだと責めて
なれないものに憧れる
諦めのつく人やうまくやれる人なら
他の道はあるが
他の道もかなり設定が細かい
適応しづらい人もいて
どこにも入れないと
居場所が見つからない
はっきりと振り分けられる所属先
そこに入れないことは罪のようで
そんな世界は
とても生きづらい

誰かの決めた 誰かに認められるもの
それらが当たり前のように溢れすぎて
おかしいと言う人がいない
はみ出す人を糾弾する人さえいる
消極的になっても仕方ない

きみは他人の正解をうたがい
他人の正解に悩まされ
自分の正解を信じてもらえず
孤立していったのだろう

社会というもので生きづらい人は
まともな人 という人もいる
鈍感なわたしは
昭和とはちがうこの情報化社会の
本質的なことに気づかず
時代性も読めず きみのことを
信じてあげられなかった

きみの苦しんだかもしれないもの
それは正確にはわからない
明確に答えを捕まえるなんて
なんに対しても無理なんだから
そうかもしれないくらいで生きて
正解とされるものたちの間を
自分なりの正解にたどり着くまで
ふらりふらりと漂いながら
のらりくらりとやっていく
それが
いまの自分には最適解な気がする
答えは無数にあって
答えはいつだって選べる
それをきみと話せばよかった

いつもありがとう
残された者の日々