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【602/1096】羨ましく思わない

子連れの親子 子どもの話
聞いたり見たりしたとき
自分の罪悪感が刺激され
自分のそれと比べては落ち込み
だからきみは消えたんだと思えて
辛かった

今はもうない
自分のことと他人のことを
切り離して考えられるようになった
わたしの問題はわたしのもので
他人さまのそれとは関わりがない
そう思えるようになった

自分の悲しいことは自分の課題
目の前の人たちの課題ではない
心配されてもされなくても
揺れることは減った
切り離して考えることは救いだった

きみの問題もきみの課題だった
困ったときに助けることはできるけど
根本的には自分で解決するしかない
見守ること
それ以外 他者にはできない

科学以外では
なんでもかんでも
ストレートにイコールにならない
とくに心のことは複雑で
これとあれでこう という
結論にはならない
影響はあるけれど
人や状況 程度によって異なる
なんでもかんでも繋がらない
そのことが理解できると
すごく楽に息ができた

自己養護でなく事実
誰も他者をコントロールできない
宇多田さんのことばの意味も
理解が近くなる
その人の決めたことを
他人は変えられない
ほんとにそうなんだなと
納得する

わかる ということは
開ける ということで
知る ことで選択肢がふえ
生きる 意味もかわる
わたしは救われたんだろう

救われていい と思えた
生きることに罪悪感を抱えていたから
死ななくていいんだ と思い
生きていていい と思えた
そのことにほっとした

自分で自分の生を肯定できたこと
それは本当に救いだった
生きていていい
死ななくていい
目からうろこがぽろほろ落ちて
涙もぽろぽろ流れ落ちた

前は生きる と宣言すると
その反動で疲れが来て
逆に落ち込んでいた
いまはそれとは違い
目が覚めたような感覚
土台から支えられている感じ
生命が輝き始めたような気持ち
この気持ちを支えに
今日も生きる

今日もありがとう
残された者の日々