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【556/1096】52ヘルツの…

孤独を感じるとき本を読む
そのときどきの求めた答えが
本の中にある

"52ヘルツのクジラたち"を読んだ
映画化もされているらしいこの本は
本の紹介ラジオであらすじを聞き
気になってすぐに買いに行った

クジラたちは大きな海原で
互いに声を出し合って交信している
広く深い海の中でも
クジラの声はちゃんと届くらしい

その中で52ヘルツの
鳴き声を出すクジラの声は
誰の耳にも聞こえない周波数
その声は楽しくとも悲しくとも
誰にも届かない
誰にも届かない声は
孤独を苦しみを抱えている人の声と
重なっていく
物語の人たちは自分の声の届かなさに
絶望していく
音にならない叫びは
大きな声にコントロールされ
存在さえなきものにされる

きみの叫びは
52ヘルツのクジラのようであった
本当なら母であるわたしが
聞き取るべきだった声
周波数が合わず届かない叫び
物語の中の出来事が
現実とリンクしていく
あんな環境では決してなかったけれど
誰にも届かない思い 
助けてほしい気持ち
その時きみがどんなに辛かったか
どんなに苦しかったか
重なる部分が多くて
悲しくて悔しくて泣いた
苦しみに気づかなかったことが
申し訳なくて
そう思うとどうしようもなくなって
泣いた
こんなに刺さるのだから
やはりこの本に呼ばれたんだと思う
泣いたって仕方ないのだけど
いまは悲しむしか出来ない

物語は物語だから
現実のような細かいことは描かれない
人と人 その日その日
現実はもっともっと複雑に思う
SNSの生む複雑さもある
なんでも可視化 数値化され
わかった風に勝手に識別され
他人に分類されていく
生きづらさを感じる人には
複雑さが苦しいだろう

先日観た映画は
変わらないようでちがう毎日を 
慈しむ人の物語であった
あのような世界は
綺麗事なのかもしれない
けれど 生きづらさのある人たち
苦しみや悲しみを抱えている人には
より染みるものだった
何者かにならなくていい
誰かに誇れる自分でなく
自分が満足できる自分であること

そうはいっても
やはり現実には現実的な事が必要で
社会で暮らすには
普通に暮らしていくには
その社会になじみ 
流されるスキルが必要だ
紛れられることは才能なのかもしれない
多様性とかダイバーシティとか
唱えている人は本当の意味では
求めている人のニーズなんて
わからないんだな
聞こえている声の奥の奥に
52ヘルツのような叫びがあるのなら
誰も取りこぼさないなんて
本当には無理なんだろう
その枠の奥まではそもそも見えてない
本当の深海を 本当の宇宙の果てを
誰も知らないように 
すべてを把握 網羅して
仲良くやろうなんて無理だよね

そういう世界があるかもしれないこと
そのもっと奥のことを知るには
自分ときちんと深く
向き合っている人にしか
わからない世界なんだろう
苦しくとも向き合っていくしかない
きみもそうだったのかな

今日もごめんなさい
残された者の日々