「2019年のサン・シティ」

"俺は、サンシティじゃ、金輪際演奏しない"

1985年、とある秋の夜長、眠い目をこすりながらMTVを観ていたら、何の前触れもなく"サン・シティ"って曲のミュージック・ビデオが初公開された。

https://youtu.be/bY3w9gLjEV4


撮影場所はニューヨークのダウンタウン。冒頭から、Run.D.M.C、アフリカ・バンバータ、、当時まだ聴いたことも観たこともなかった、初めて知る、厳つい強面なルックスのミュージシャン達が、アジテーションを、即興みたいに、ワンフレーズずつ、次々に歌い継いでいく。

ジョーイ・ラモーンや、ルー・リード、エディ・ケンドリックス、ハノイロックスのマイケル・モンローまで!名前の字幕が欲しいぐらいだった。

そんな中、サビ近くになると、スプリングスティーンや、U2のボノも暑苦しく(苦笑)歌う!場所こそ別撮りだが、ディラン、ジャクソン・ブラウン、ピーター・ウルフ、ミッドナイト・オイルのヴォーカル、と目を離させてくれない。更に、間奏は、マイルス・ディヴィスが入魂のペットを聴かせる。あ、ロン・カーターやハービー・ハンコックも居るじゃん!

大ラスは、NYC中のミュージシャンが街を練り歩きながら、サビのフレーズを歌い、叫んでいた。

84年の暮れぐらいから、続々と出されていたアフリカ難民救済チャリティレコード。ロック・スター全員集合的な、メンバーの豪華さには、目を奪われたが、何となく、言葉に出来ない居心地の悪さも感じていた。その感じが、この曲には一切無かった。

ビデオに録画したMVを何度となく見直しつつ、気になって、「サン・シティ」って何?南アフリカの白人専用のリゾート施設か、、白人専用ってどういう意味?、、とか感じながら、音楽雑誌で少しずつ入る情報も、細かく読んでいき、クイーンや、ロッド・スチュワートは、莫大なギャラを積まれて、その場所がどういう場所かも、事前に知らされずに演奏してしまったらしい、とか、色々分かってきた。そして、後日改めて、MTVで、レコーディングの模様をドキュメントした特番が放送され、全てのピースが一つに繋がった。

このプロジェクトを立ち上げたのは、E-Street Bandのギタリスト、スティーヴ・ヴァン・ザントだ。彼は朋友、ブルース・スプリングスティーンとの活動から脱退し、自身のバンド、ディサイプルズ・オブ・ソウル(魂の使徒たち)を結成して、ソロ活動をスタートしていた。

2枚のアルバムを出し、精力的にツアーを回るも成果は今ひとつ。音楽的には、ズバリ"投票しよう!"と呼びかける政治的なメッセージソングが耳を引いたが、言葉の壁を超えて響いてくる曲は、まだ生み出せないでいた。

そんな時に、彼はテレビ番組で、南アフリカの酷い人種差別政策の実態を知ってしまう。その憤りに駆られて、彼は、新曲、"サン・シティ"を書きあげ、当初は、自身の3rdアルバムに収録しようと考えたが、決断する直前、
このテーマに賛同する友人のミュージシャンに片っ端から参加を呼びかけることを思いついた。

幸い彼は生来の人懐っこさで、周囲の誰とも打ちとける術に長けていたため、彼が声をかけると、たちまち、NYC中のミュージシャンが賛同の意を表明した。

レコーディングの様子はMTVでも特番として放送され、後にビデオ化もされた。短い制作時間の制限にもめげずに、オリジナル・シングルヴァージョンのみならず、アウトテイクもふんだんに盛り込んだ、ジャズヴァージョンも含む、幾つかのリミックスも仕上げた。

85年当時、人種差別の問題を解決しようとした 指導者のネルソン・マンデラは、まだ獄中にあった。

この曲が楔になり、後のジャパン・エイド、アムネスティ主催のヒューマンライツ・ナウ、90年代になってからの、マンデラの釈放へと、自由への意志の連鎖が結実したように、今は思える。

当時はSNSどころかインターネットも、メールすらも無かった。それを考えると人間の思考能力そのものが、ここ30年あまりのテクノロジーの「便利さを最上の価値に置いた誤った進歩」によって、却って退化の一途を辿っているように見えるのは、思い過ごしだろうか。

次の世界のホットスポットを予見するような、示唆に溢れた音楽は、閉塞的な社会状況から、爆発的に生まれる。第九しかり、ロックンロールしかり、パンクしかりだ。そして、2019年10月、今現在のサン・シティは、何処なんだろう?気づいてないのは、お前たちだけだって言われないようにしなくっちゃね!

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