私個人の恋愛観~きみへのモノローグ、恋なんて惚れたもん負け解説~

 さてさて、昨年Twitterにてupした、この二つの詩が示すもの。

 それは私にとっての理想の恋愛と、現実の恋愛です。

 きみへの~の方は、一緒にいるだけでお喋りが尽きることなく続くような、気の合う誰かと、こんな風に向き合っていたい、という想いが……あふれまくっています笑。

 この場合モノローグとは、漫画にある、登場人物の頭の上に思いや考えが書かれている、もわもわっとした吹き出しのことです。

 相手に対して伝えたいけれど口に出せない想いや、自分が相手に向き合っている状況を、そのまま歌詞としてみました。

 そして恋なんて惚れたもん負け、の方については、やっぱりこちらの方が恋をしている私、となるんですね。

 好きが高じすぎて、相手に自分の気配を悟られるのも憚られる……といった、一歩間違えるとストーカー化してしまいそうな気持ちとの葛藤。

 私にとって、恋のように激しかったり、強い感情を覚える時は、自分の心をかなりもてあましてもいるんです。

 じゃあ黙って見ているだけなのか、というと、そうでもない。

 出来れば接点を持ちたい、と思いながら、自分なりにアプローチもしています。

 ただまあ理想の恋愛をきみへの~としている辺り、恋愛偏差値は低い類の人間でしょう笑。
年齢のことを考えると、笑ってばかりもいられないんですけどね。。。

 あ、あと恋なんて~に関しては、一つ裏話があります!

 昨年はこちらではなくTwitterで、作詞作曲した作品に関わらず、自分の生い立ちから病気のことまでを、何でもかんでもツイートしていたんです。

 すると、県内にある大きな山が噴火するかもしれない、というアラートが出まして。

 そしてそれを見た私がやったことというのが、“恋なんて〜”をTwitterにupすることでした。

 なぜ山の噴火に詩をup?
というのは、この詩は一応笑える類の自虐として書き上がった、と感じたためです。
そしてフォロワーさんを始めとする、Twitterの運営会社の方々や、あわよくば、広告等を出されている企業の方々にも、大いに笑っていただくことで噴火を鎮めたかったのですね。

 効果は……その後アラートが出ないようになったので、きっとこの目論見も上手くいったのではないか?
と思ってもいるのですが、どうでしょう?

 好きでよく観ている(もちろん信頼もしています)スピリチュアル系のYouTuberの方から、笑っていると良からぬものは寄ってこない、と聞いていたからなんですけどね笑。

 自分なりに、皆さまの気の力をお借りしてみた! ということなのです。

 こちらはまだ唄になっていませんが、何だか小咄のような仕上がりになったり、川柳をそこかしこにちりばめることが出来たため、作者としては、そこがお気に入りでもあります。

 ただまあ、こんな風に自分を人前でさらけ出すのは、現時点ではとても難しいと感じます。

 でも、私は面白くて楽しいことが好きですし、自分から笑いを取りに行くのも好きなんですよ!

 この唄(となるよう、頑張りたいところです)と一緒に、どや~!! とばかりに披露できるのは、一体いつになることやら……コミュ障には高い高いハードルだ笑。

 今回は……解説はこれ位かな? また思いついたら、追記で補足します。

 それでは最後まで読んでくださって、有難うございました。

 追記
 そういえば、昨年upした恋も、私の恋愛観といえばそうですね。

 特に、想いが実ることなく、片思いばかりしているところとか笑。

 まあそれはそうとしても、誰かを好きになる時は、その人の笑顔をよく見ていればあまり間違えることはないのでは、と思っています。

 だって笑顔って、色々な意味で嘘をつけないものですからね。
作り笑いを続けていると、表情は徐々に不自然なものになってゆく、と思うのです。

 それに同じ笑顔は笑顔でも、心からの喜びや嬉しさから来るものではなく、良からぬ感情を下敷きとした笑顔をよく見せる人というのは、別の意味で気を付けていなければならない、と思うのです。

 ……何だか話がそれましたが、以上です!

 追記の追記
 そういえば、恋も一番二番のAメロの初めには、川柳が入っていますよね?
今、ようやく気づきました笑。

 と、いうことはですよ?

 恋には無事メロディーを付けられたので、恋なんて惚れたもん負けも、上手く行けばメロディーを付けられるかもしれないのです!

 これは、私には非常にやりがいのあることになるかもしれません。
なぜなら短歌や川柳といった、日本語として美しかったり、完成された響きをちりばめた曲を、今のところ一曲だけですが、作り上げた実績があるからです。

 その場合、文字数が多い“恋なんて〜”の方が、難易度は上がるんでしょうけどね。

 でも私としては、せっかく日本に生まれ育った者として、日本語で(または“の”)いい曲を創りたい、という想いがあるのです。

 まあですがこんなことを長々と言うのもいいけれど、その間に何か創れ! という話になるので笑、ここらでやめておきます。

 追記の追記の追記
 ……ああ、でも語らずにはいられない、なんてったって大好きなことなので!

 本当に歌詞先行、または歌詞とメロディーが断片で同時にやって来るタイプの創り手な私ですが、それでも唄として仕上げていく内に、言葉より、音にちゃんと乗るかどうかで形となるんだなぁ、と感じずにはいられません。

 私の場合、今のところ歌ものしか創れなかったり、歌いながら作ってゆくスタイルなのも手伝ってか、音が唄として落ち着くべきところに落ち着いてしまったら、もう戻れないんだなぁという事実に、神秘的なものを感じずにはいられないのです。

 というのもこのところ、後悔の中あるものと、ぼくらの葛藤が唄として、形を成しつつあるからなんですよね。

 その感覚を大いに味わったのは、最初に恋を創り上げた時なのですが、ぼくらの葛藤なんて、構成や始まりのピースの中の単語すら、変わってしまいましたからね笑。

 創る……まあ私は昔から詞に近い歌詞もどきはずっと書いていたり、大好きなため、かれこれ数十年ほど趣味として歌い続けてはいるのですが、自分の唄を編曲まで施した楽曲を作り上げることに関しては、まだまだ本当にひよっ子です。

 なので、唄という形にできるまでだとしても、これって、実は凄いことなのかもしれない……と、今さらながら思いもしているところです。

 なぜなら私には、メロディーは選ぶというより、探し出す、見つけ出すという感覚の方が強いので、詞と音が分かち難く結び付いて唄になる、ということが、本当に奇跡に近いことだと感じているのです。

 これは……やっぱり私にとって音楽は神様だから、としか言い様がないからでもあるんですよね。。。


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