後悔の中あるもの 解説

 本日も、今夏にTwitterでupした詩の解説となります。

 これは……一言で言うなら、最も自分へと言い聞かせたい言葉や思いを、形にしてみたんです。

 実は私、メンタルを病んでいまして、本当にこの詞の主人公のように後ろ向きで、女々しくて、これまでの人生をいい加減に生きてきました。

 そんな屑の本心とは、どんなものなのか。

 今度こそ、自分の人生に責任を取るために、自分で尻を叩く形で、身も蓋もない弱音を吐くことで、これからの心構えを固めてみたのです。

 思い返せば、気の滅入ることばかりを進んで繰り返してきた人生でした。

 そんな自分がこの詩で選んだ一人称が、女でありながら僕でもあるその理由とは。

 私の人生とは、女でありながら、まるでドラ息子と言っても過言ではないほど、恥ずかしながら無責任なものだったからです。

 ……前々作から責任がどうのと言い出しているあたり、これも私なりのラブソングとしたいものです。

 そして人によってはもっと深い意味を見出せそうな、抽象的な仕上がりになっているのも、これも一重に一人称が僕であるゆえですね。

 それもこれも、ずばり言うと、世の中で私のように人生に絶望し、迷っている男の子や男性にこそ、伝えたい気持ちでもあるからです。

 幸せを手に入れるにしても、何かを悔いなく忘れるためにも、本当に必要なものとは、結局のところ、責任を取る勇気なのではないか。

 そうしてこれまでの人生がたとえどんなものであっても、正に今この瞬間も、ずっと憂鬱に苛まれる苦しみに喘いでいたとしても。

 そんな自分に気づけたなら、今、この瞬間から、未来は変えることも出来るのではないでしょうか。

 だけど貴方の実情が、現実に手も足も出せないほどに苦しんでいるのであれば。

 それは貴方には優しさがあって、かつ、本当はこの現状を何とかしたい、という葛藤に囚われている証なのでは、思うのです。

 それが何故かというと、何においても、本当の意味において、自分自身を大切に出来ていないから。

 私の詩は抽象的で解りにくくて申し訳ないのですが、それもやはり、人が何に悩むかは、本当に人それぞれだと感じているからです。

 なので、自分を裏切ることが貴方にとって何なのか、声にならないほどまで苦しんでいる理由は一体何なのか、今一度、ご自分と向き合ってみてほしいのですね。

 そして私が自分に対して裏切っていることや苦しんでいることが、具体的には何かと言うなら。

 対面だと相手に向かって言いたいことすら言えなかったり、病気を抱えているため、毎日きちんと仕事に出ることもままならない、という二点ですね。

 その割に物凄く内弁慶だったため、家族には本当に迷惑をかけてきました……言ってしまえば、屑が今さらになって良心を痛めている、というだけの話でもあります笑。

 ただ、何度も精神科の病院に入院してきた中で、男性の繊細さには色んな面や点で驚かされたり、心の動かされることがありました。

 まあお互いに患者でもあるので、怖い思いもしてはきましたが、それでも、男性の優しさとは、即ち繊細であるゆえ、というのが私の見てきたものでもあるのです。

 仲が良くなった患者さんの中には、優しさゆえに、如何ともし難い現実にぶち当たって悩んでいる方が多かったですね。

 そんな彼らを見てきて、同じく精神を病んでいる者としては、その優しさが、この世界を構成しているもの一つである、と気づいたのです。

 そんな、本当はとても繊細で、時には誰かのために自分を犠牲にも出来るような男性という存在に対して、貴方はそれでいいんだよ、だからこそ、自分自身を本当に大切にしてほしい、と伝えたい。

 僕という言葉にはしもべ、つまり目上の誰かに仕えねばならない人、という読み方や意味もあります。

 そして、そんな存在でもある男性にこそ言いたい。

 まずは自分自身を大切にするために、自分の面倒をきっちり見てゆく、という形で、自分に仕えることに取り組んでみませんか、と。

 繰り返しますが、自分自身が満たされていないと、本当の意味で優しくはなれませんから。

 満たされていない状態で発揮する優しさは、いつかどこかで破綻してしまうものだからです……愛と同じく、優しさも履き違えると、実は大変厄介な代物なのです。

 それに、自分自身に責任を持てると、自ずと自信も付いてきます。

 そう、これだって自分自身で手に入れてこそ、本当に価値のあるものの一つです。

 そのために払うべき何か、それはやはり人によって違うものでもありますが、一言で言ってしまうなら勇気のはずですよね?

 実際はビビりでヘタレな私には、本当に足りないものの一つでもあります笑。

 ならば一緒に頑張ってゆきましょう!

 ただ、誰かと一緒にそれに挑むのだけは御法度なのです……各々勇気を出すべき何かは、本当に違うものですから。

 そして既に自分を幸せにするために、何かを悔いなく忘れるために、世界のどこかで勇気を持って立ち向かっている貴方。

 本当に素晴らしく、尊い存在だとしか言えません……そう、勇気を出して得られるものには、いつのまにか価値だって着いてくるのですよ!

 しかし、ここで肝心なことを伝えねばならないのを忘れていたのにようやく気づいてしまいました……本当にごめんなさい!

 健常者ではない私が、貴方の胸に手を当てて聞いてみてほしいと思うことや、挑戦してみてほしいこととは。

 そのスケールの大きさや取り組んで欲しいものの内容も、また貴方による、としか言えないものなのです。

 しかし人生の半分を精神を病みながら生きてきた者として、言えることがあるとすれば。

 自分自身で取り組むことの内容やスケールに関しては、どれだけ小さくて、簡単なものでも構わないということです。

 手始めに取りかかるとするなら、努力が確実に報われるようなものであればあるほど善し!

 そういったものの方がいいに決まってますよ~。
最初っから高過ぎるハードルをこさえる必要は、まーったくないのです。

 それだと、どんな有能な人であっても、どれだけ心や物の備えがしてあっても、気分の落ち込んでしまうものでもあるのではないでしょうか?

 重要なのは、それが何であったとしても、確かに自分自身の力でやり遂げられた、という経験なのですから。

 ……ならば、これから自分にも確実に出来る何かとは何だろう?

 そうして踏み出した一歩を、確実に完走するためのゴールは、どの辺りに設定しておくと良いだろう?

 ……うーん、まずはそれが何かを考えるところから始めてみようかな?

 本編とこの解説を合わせて読まれた上で、そう思っていただけたなら、作者としてはこれほど嬉しいことはありません。

 私も世界のどこかで、志を低く笑、頑張ってみます……そう、気持ちの上では、実は皆一緒なんですよ!

 それでは最後まで読んでいただき、有難うございました。

 追記
 本当に今さらながらで申し訳ないのですが、本編の“声にならなかった日々も 歌えるなら それは 探し続けてた 僕の言葉”、というのはですね、私のこの楽曲でなくても……よいのです。

 歌を含めた音楽とは、基本的に物凄く懐が深く、その人それぞれの愛に満ちています。

 なので、どんな時でも自分のお守りとなってくれるような曲を、フレーズを、メロディーだとしても何でも良いので見つけ出せたなら、それを大事にしていて欲しいのですね。

 私は……創り手になりたいと思ったから自分の言葉で誰かに伝えたいだけなんであって、自分の人生における、自分のためだけのお守りは、人それぞれで構わないと思っています。

 それはもちろんそれぞれの相性もありますし、人によっては何かを創り出すより、誰かに教わる方が向いている方もいるからです。

 私には本当に、単純にそうだから、としか言えないのですけどね笑。

 さてさて、遅くなってしまいまして申し訳ありませんでした。

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