運命の人またはOne in a million 解説
さて、今回も今夏にTwitterでupした詩の解説です!
ええと、この詩は出来れば英訳してメロディーを付け、楽曲としたいものなのですね。
そうして私にとっての運命の人とは、具体的に言うならば父なのです、が。
詩として公開するに当たり、本気の恋を見出してしまった方に向けてもあるのです。
父は私にとってはきちんと話を聞いてくれないは、気分次第でひどい言葉はぶつけてくるはで、本当に一緒にいて、甘えさせてはくれない相手でもあります。
それでも年齢を重ねれば重ねるほどに、父にも父なりの思いや意見があってのことだ、と感じるようになってもきました。
あとはですね、入院中に書き上げた時には父という個人宛てでしたが、今現在は……大幅に変わってしまいました。
私にとって、自然や生き物や人間といった、命すべてがこの詩に出て来るあなたへと変わっています。
というのも、世の中や、世に存在する命全般に対して考えれば考えるほど、涙も笑いも怒りも悲しみも、胸騒ぎも止まってくれないのです……何と騒々しい心でしょう。
まあ元々想像力も妄想力も、非常にたくましくはありますが笑。
そう、私にとって、様々な形を見出せる愛を語るならば、命というもの全てには、あらゆる手で以てして語る以上、心の基本的な在り方は、跪いてその対象へ寄り添うこと。
そんな結論に、今のところ達しています。
この地球が沢山の命を抱えて存在している以上、いじめ、誹謗中傷、その他沢山の涙となってしまう原因は……なくなることはないでしょう。
ただ、以前にupした、“本当に大切なもの?”に出て来る主人公のような優しさと、本当に手を差し伸べるべき誰かに対する眼力と、勇気を持つ人がいる限り、涙の数が減っていくことも……あるのかもしれません。
やっぱり何か誰かの心に本当に響いて、いつまでも寄り添える何かを作ろうと思ったら、絶対に必要なのは希望でもあるはずですし。
世界中にあらゆる災難を放つことになってしまったパンドラの匣でさえ、最後には希望が残っていました。
あらゆる可能性を極められる人間が今日(この場合、こんにち、と読んで下さい)まで生きて来られたのも、誰かが世界の何かに希望を見出してきたからです。
今日を乗り切り、明日を迎えるために、上手ーく楽しんだり、息抜きをしながら、ともに今を過ごしている誰かが、どこかで限界を迎えていたとしても。
精神も含め、本当に体調がそれどころじゃない場合、安心してお休み出来るような世界が訪れることを、夢幻として、終わらせたくない。
メンタルを病みきっている私が、捨てきれない希望がそれでもあるのです……それもこれも、命には心から跪いていたい、この身をかけて、私なりに跪いていたいから。
それでもまだまだ退院は見えてこないので、本番までは準備中でもあります笑。
それでは最後まで読んで下さり、ありがとうございました。
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