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7/3〜7/9 それはどこかにあるのではなく


唐突に、白い家具たちをペンキで茶色く塗った。塗った感じが残って、いい具合の机が生まれた。まだまだ一緒にいられそう。

「ほしいもの」メモの一番上に書いていた画集をついに買ってしまった。『耳をすませば』の監督の近藤善文さんの『ふとふり返ると』。

(このブログのおかげで出会えました。青春ゾンビさん、宝物をありがとうございます。)


雨の日の下校時間、ちょっかいを出す男の子。銭湯の前でバスタオルをかぶって遊ぶ弟たちをおこるお姉ちゃん。保育園の遠足でひとりしゃがんでつくしを見つける男の子。枯葉とともに踊る少年たち。ギリギリの踏切を自転車で抜ける危ないおじいさん。彼のほっぺを引っ張る女の子。

それぞれが、街の片隅にいながら、まんなかで生きている。

植え込みにいる男の子が、こちらを見上げて、地中を指さしながらなにかを伝えようとしている絵。その傍らには、「何してるの?」「ボク、むし すきなんだ。アリもすき。ホラ、このしろいのはアリのたまごだヨ。」と近藤さんの文字が。そうかぁ。話しかける人だったんだなぁ、と、勝手に嬉しくなる。

人がいて、街があって、街のなかで生きていることに嬉しくなる画集。

ガス点検のおじさんが、さらっと気持ちのいい風を吹かせている人だった。夏のサンタさんみたい。

今まで〈発達〉という概念が自分の外側にある感じがしていたけれど、日曜日に白石先生のお話を聴いてすっとなにかが伸びた感じがした。人間としてもっている願いのことを、発達と呼ぶことができるのかもしれない、と今は考え始めている。そう捉えると、津守先生が書いていることにもまた動きが加わるような感じがして、わくわくしてくる。

来週はゼミ発表があるので、わくわくばかりではなくひええっとなりながら資料づくり。

竹内敏晴さんの本を読んでいる。途中から声に出して読むようになった。そうやって読まないと、読めない気がした。お風呂で読むと、聞こえてくる〈音〉が〈私〉ではない感じがして、いい。

真木さんの名前を見つけてびっくり。嬉しかった。それにしても、どうしてここでは見田宗介ではなく真木悠介として名乗ったんだろう。

散歩道、セミの声の中を歩く。







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