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7/17〜7/23  レーズン入りの卵サンド


しばらく連絡をとっていなかった友達に、かき氷の写真を送ったら、数時間後にはうちで会っていた。

「いろいろ、あるね。」

そう話しながら作ってくれた卵サンドの中に、彼女が大好きなレーズンがたっぷり入っていた。言葉よりもそのレーズンが、いろんなことを伝えてくれている気がした。あやちゃんがこの卵サンドを食べながら生きていることが嬉しかったし、今まで食べたことがないくらい美味しい卵サンドだった。


それから、いろんな話をした。〈かなしみ〉の話をしたり、〈故郷〉の話をしたことは覚えている。途中で、部屋の隅にある鍵盤を鳴らしたり、私が描いた絵を並べて電気をつけたり消したりして「わ、違う絵になるね」「傾けると、ここのキラキラが見える」。一枚の絵を眺めて、いつか買いたいと言ってくれた。

気づいたら鳥の鳴き声が聴こえて、空が明るくなっていた。

「ねぇ、モーニング、行かない?」と、あやちゃんが言った。ゴミの日だったから、ゴミ出しをしてから、新神戸の方へふたりで歩いた。山を登って、はじめて神戸の滝を見た。あやちゃんは、ハイヒールでぐんぐん登っていった。途中で、おじいさんおばあさんたちがラジオ体操をしていた。その脇を、「ジブリでなんの映画が好き?」とか「今でも、東京に憧れてる?」とか、話しながら登った。


それから、おいしいバケットサンドイッチを食べて、「死ぬまでにしたいことある?」とか、「贅沢だなぁと思うときってどんなとき?」とか、「あぁ、この瞬間のために生きてきたんだ、って思ったことある?」とか、いろんな話をして、また歩いて帰ってきた。ふたりとも眠くてふらふらし始めて、あやちゃんは坂の下に帰っていった。


こういう日のことを、もしも将来子どもが生まれて、その子が中学生くらいになったら、話すような気がした。

あるコンサートに行った。音楽、演奏する人たちだけじゃなくて、コンサートホール自体の雰囲気ってものすごく大事なんだなぁと感じた。出迎えのときの表情、アナウンスの声色、照明をおとすタイミング、どこを演奏会の「終わり」とするか。好きなホールでは気にしなかったことだからこそ、「好き」の理由がわかった。

小野ちゃんが、世界一美味しいキーマカレーの作り方を教えてくれた。農場がとても忙しいときなのを知らずに聞いてしまったのに、喋りかけてくれているみたいにレシピにして送ってくれた。「失敗しながらね」と書いてあって、本当にやさしい人だなぁと思った。

〈行動じゃなくて、心に応答する〉と書いていた津守。どうやら、「人間には共通(普遍)の地平がある」から、相手の側に立って内側から見ることができる、ということまで含めてとらえることが大事そう。私はこの部分を「信じたいこと」の引き出しに入れてきたけれど、その引き出しから出して、そのまま置けるようになりたいと思う。

エリクソンは、ヒヤヒヤしながら読んでいる。精神分析学に、たじろいでしまう自分がいる。

須賀敦子さんの本を読んだ。久しぶりに、「この人の本全部読みたい」と思った人だった。何度も出てきたウンベルト・サバの詩も、もっと読みたい。

えっちゃんが、大切な節目に絵を依頼してくれた。まだ描いてもいないのに、もうそこに絵があるかのように、絵と一緒に生活する話をしてくれた。とても、大切にしてくれていた。

大切に、大切に、届けたい。




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