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「しあわせになろうよ」なんて、ろくなもんじゃねえ!? No.9

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2023年1月15日 たまちゃんの「いつか何ものかになる道」 No.9
当ブログは、30代後半の元ポンコツのサラリーマンが何ものかに変化変容を果たす過程をリアルに発信します。
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本日は家族でいちご狩りに行ってきました。

今がいちご狩りにはよい季節だそうで、いちごが大好きな妻と息子も楽しそうにしている姿を見れて、よかったです。

■アーティストに重ね合わせたもの
さて、いきなりですが、私は長渕剛が好きです。
それも1983年くらいから1993年くらいまでの長渕剛です。

違いがわからない人が多いでしょうが、この頃が私が好きな長渕剛。

これがそうでもない長渕です。今の長渕剛ですね。

富士山麓で2015年に開催されたオールナイトライブ含め、他にもライブは行きましたが、その時にいらっしゃる熱烈なファンの方は見た目が完全に長渕剛です。

そのような熱狂的なファンの方からすれば、ファンクラブにも入っていない私は薄っぺらいファンです。

結婚式の曲選びの際、妻に「長渕剛の曲をかけさせてほしい」という相談をしたら、「あなたが長渕を好きなこと自体は尊重するけど、結婚式で長渕は嫌」と言われたことも今ではよい思い出・・・。

では、なぜ、私は長渕剛が好きになったのか、を考えていると、それは「鬱屈した思いを言葉にしてくれていたから」ではないかと。

だから、「しあわせになろうよ」がリリースされ、結構流行りましたが、「おいおい長渕よ、何を言ってるんだ?」「どうした?血迷っているのか?」と当時は思ったのです。

「何者でもない自分が、他者に打ちのめされ、地べたを這い回りつつ、悔しさを爆発させ、今に見とれお前ら!という想い」が1993年までは歌にこもっていたんです。
そのことに共感したのに、「『しあわせになろうよ』だって?寝ぼけちゃいけないよ。歌詞も曲も大衆に迎合して書いた曲じゃないのか?」と感じていました。

ちなみに、私が好きなのは、以下のような曲。

ろくなもんじゃねぇ(1987年)
MY SELF(1990年)
東京青春朝焼物語(1991年)
STAY DREAM(1986年)
HOLD YOUR LAST CHANCE(1984年)

お金ばかりの世の中で、要領よく立ち回れず、不器用なため挫折を経験し、苦悩をにじませながらも、どうにか前を向いて生きようとする、くやしさをぶつけまくった歌詞と、自分を重ね合わせていたんだろうと思います。

そう考えると、私自身、未だに溜まりに溜まった鬱屈した思いが、噴火せず、マグマのようにうごめいています。

■鬱屈したエネルギーの解放
38歳になり、サラリーマンであることで、その鬱屈した思いを鎮火させるのも大人であるかもしれませんが、決してそうなっておらず、また、そうなろうとは思えません。
まだまだ、人生の始まりはこれからだと思っています。

「今まで使い切れていなかった思いや力を発揮してやろう!」そういう気持ちでいっぱいです。

やりたいことも溢れんばかりあります。
趣味だけでも、魚釣り、キャンプ、DIY、書道、絵画などへのチャレンジがしたい。
マラソンは死ぬまでに1度は走り切りたい。
他者とのかかわりもどんどん持って、よい影響を与えていきたい。

目の前のことを一つ一つ行っていくことしかできませんが、鬱屈した思いをこれから爆発させてやろうという思いで、とても楽しみです。

■しあわせってやっぱ大事
ちなみに、結婚して子どもができて、生活も落ち着いてきた今、長渕剛が「しあわせになろうよ」を歌った気持ちもかなりわかるようにもなりました笑

家族を持つと、しあわせって大事だと感じます。
「しあわせになろうよ」もいい曲です。

明日も、ハイかイエスか喜んでで、わからないからやってみる、でいきます。

●本日のまとめ
・過去、自分が好きだったアーティストや曲を振り返ると、当時どういう思いを持っていたかがわかる。私の場合は鬱屈した思いを抱いていた。
・そして、その鬱屈した思いはマグマのように溜まっており、凄まじいエネルギーとして蓄積している。だからこそ、今後、やりたい対象を定めることで、このエネルギーを放出させ、一気呵成で攻めていくことができる。

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