主従

最近まいとのやり取りの中で「飼われているだけで飼い主にこんなに優しくしてもらえちゃうの?」って質問をされた。他にも「いつも与えてもらってばかりで返せてない」とかそういう言葉がたまーにあったりもするので、今回は私の中での「主従」を書いていこうかなって思ってる。

まい以外に読む人もちょっとは居るっぽいので、今から使う「主従」というワードは全て、関係性の事を示すのでご留意を。

まいはよく分かっていると思うけど、私は偉そうにするのも強そうにするのも好きじゃない。日常生活の中でもそうだし、主従の中でもそれは変わることがない。これが大前提。

なので私の立場・立ち位置はいつも同じで、まいが私の隣に居たいと感じた時は居てくれればいいと思うし、一段下がって見上げたいと思う時はそうしてもらえればいいよっていうのが主従のスタンス。

主従を細分化したカテゴリーで見ると私たちはオーナーとペットという関係で、二人の中では飼い主とわんこという呼び方になっている。

その辺りを踏まえたうえで、ここからは私自身の飼い主としての方針とか考え方を書いていくよ。

はじめに、飼い主はペットにとにかく愛情を与え続けることが大事っていつも思っていて、まずこちらを見て欲しい。

ペット(英語:pet)とは、愛玩を目的として飼育される動物である。

Wikipediaより引用

ちなみに愛玩の意味はこちら。

大切にし、可愛がること。いつくしみ楽しむこと。

goo辞書より抜粋

ペットは可愛がられるためにいて、その飼い主には自分のペットを全力で可愛いがる権利が発生する。私がまいをペットと呼ぶってことは、つまりそういうこと。

可愛がり方は人それぞれだろうけど、私の可愛がり方は愛情をひたすらに注ぐってやり方。goo辞書から抜粋した「大切にし、可愛がること」がそのまま当てはまっているわけで、これがまいの飼い方にマッチしているので上手くいっているんだなって思っている。

そして飼い主は常に与える立場でもある。与えるというのは、快楽や苦痛に限った話じゃないよ。常日頃から世話をすることも愛情を注ぐことも「与える」という言葉に脳内変換している。
飼い主なら当たり前。私の中ではそれが「飼う」ってことだから、飼うには本当に覚悟が必要なのよね。

あと、当然だけど同じ見返りは求めてない。〇〇をしてやったんだから、お前も〇〇しろよ!とか、そういうことは一切考えない。例えばよ?本物の犬を飼っていると仮定して、飼い主は犬のために散歩する。散歩が終わったあとその犬に「さっきお前は散歩してもらったんだから今度は俺を散歩に連れてけ!不公平だ!」とは言わないよね。言ってたらヤベー奴だって思うわ。

散歩したらわんこが喜んだ。じゃれ合って遊んだらわんこが喜んだ。この「わんこが喜ぶ」という状況をいかに作り出すかが飼い主の楽しさだし、それを達成できたとき飼い主でよかったー!って満足できる部分だから、何かをして欲しいというわけじゃないんだよね。

なので、まいがスポーツジムに行きたいけど器具の使い方が分からないという状況で、私は多少そういう知識があるから「まいの通いたいスポーツセンターについて行って教えようか?」と提案することも、まいの地元に売っていない商品を私が自分の地元で探すことも、それは苦でもなければ時間の浪費でも面倒でも何でもなく、むしろわんこが喜ぶってところしか考えてない。

わんこの喜びは、即ち飼い主が一番求めているもの。

この辺りの私の考え方が、まいがまだ慣れない部分っていうのもあって、理解を深めるために今回noteを書いているわけだけどね。

ちなみに私に対して何も返せていないっていうのは全然違っていて、逆にまいは毎回ものすごく返してくれているので、私ももっと世話をするぞーって気持ちになる。まず些細なことで喜んでくれるからね。もうね、あの顔をクシャーってして笑う顔、それがあれば充分満たされるのよ。

しかもよ?私の為に苦手だったことにもチャレンジしてくれるでしょ?主従を始めて二年弱で本当に色々なことにチャレンジしてくれたし、それを受け入れてくれた理由ってきっと「ご主人様の喜ぶ顔が見たいから」だと思うんだ。こんなにも献身的なのに、何も返せていないはずがない。めっちゃ返してもらってるんだよ。


愛情を注ぎ続けることと同じレベルで大事なことがあって、それは絶対不安にさせないこと。これは可愛がるとはまた別の要素なので、あえて分けて書くことにしたよ。

どんなに可愛がったとしても、不安があれば「この愛情は本当か?」って思われてしまうし、自分自身の心の中に不安という名の黒いシミを作ってしまうと、そのシミを自分でどんどん広げていってしまう可能性がある。

不安(あんしんできない)から、不信(しんじられない)に変わってしまったら、そこから関係修復ということは不可能。少なくとも私には無理。

だから私は心に黒いシミは作らせないし、過去に出来てしまったシミは2人で協力してじっくり漂白していくようにしている。これは出会った頃から今までずっと変わらない関わり方。

「可愛がる」と「不安にさせない」は、私の中での「大事に飼う」を継続するために必要不可欠なことなんだ。

あとはお互いを想う小さな事柄の積み重ねが、結果として大きな絆になったよね。

GPSやスマートウォッチのデータを連携して行動把握したり、私はこうやって何かあればnoteに書いたり、まいを誰よりも綺麗に撮るつもりで撮影してアルバムにしたり、まいはSMバーに行く際に様々な私達の中での決まり事をしっかりと守ったり。

最初は不安にしない、ならないようにと始めたこともあったけど、いつの頃からか不安が消えていって、それらの行動はお互いのためにと思ってするようになっていたり、主従に対する自分の強い意志として示すようになっている。

そして今すごくお互いの日常にも良い影響が出ているから、当初からの主従のコンセプト「お互いの人生を今よりもっと豊かに」が形になってるんだよね。うーん素晴らしい。

今の主従の形にはとても満足しているよ。

読んでもらって何となくでも、今の主従の考え方を共有してもらえたら嬉しいなー。





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