犬を飼うこと、人を飼うこと

私はわんこを一匹飼っている。
ずっとそう思いながら、そこに何の疑問も感じずに過ごしていたある日のこと。わんこを飼い始めて一年と少し経過した頃だったかな。

月に最低一度は必ず作っている逢瀬の日。
今回も無事わんこと会うことが出来たんだけど、愛犬の表情は浮かない。その理由はもちろん分かっている。基本的にフルスピードで仕事をこなす子なので、職場が超多忙な時期になると本人のキャパシティを越える仕事量をこなしてしまう。それらの仕事をこなすだけでも大変だと思うのに、面倒見の良さから同僚の世話まで焼くことがしばしば。その結果、仕事スイッチがオフになるとぶり返しの如く負の感情が溢れ出てしまうんだ。

これは今回に限ったことではなくて、関係を築いた当初から幾度か経験してきたことでもあるし、そのたび一緒に乗り越えて来た。一つ乗り越えるたびに信頼関係が深まる事柄でもあるので、こういう時にこそ飼い主と呼ばれる人間の手腕が試されるとも思っている。

ホテルに入ってもずっと浮かない顔のまま「今日はわんこじゃない…まい、わんこじゃないもん…」って呟いたりしているわんこをなだめてみても、「やだー!わんこじゃないんだもん!!」って感じで突っぱねられてしまった。今日はわんこの中の葛藤がいつもよりもすごく激しいんだなーっていうのは感じるんだけど、どうしたら落ち着かせることができるのか、そもそもその葛藤の真意がまだ見えていなくて解決の糸口を見つけることができないでいた。

その状態でも何となくの流れを作ってくっ付いたら落ち着くんじゃないかと思って、ベッドに引き込んでいつものように抱いてみる。いつまでも表情は浮かないままだったけど、挿入をした途端「もう無理!!!もうわんこにはなれないよおおお!!!!」と大号泣しながら言われてしまった。

その言葉を聞いた瞬間「これは主従関係を解消しようという意味なのかもしれない。」と思ったんだけどその矢先、次の言葉を聞いて私は混乱してしまう。

「まいのことを好きになって欲しい。」

わんこになれないけど、まいのことは好きでいて欲しい…?

まいと関係を結んだ時から、わんこの飼い主という役割に徹してきたからこそ、この言葉は本当に難解に感じてしまった。この時即座に「もちろんだよ。」と言えたらそこで終わった話だったのかもしれないけど、私がそれを口にできなかったのは、今の状況が理解できていなかったからだ。

私が理解できなかったのには理由があって、今まで気づいていなかったけど、実は私たち二人の間で「犬」という言葉の意味に違いがあった。

万人が理解できる話かどうかは分からないけど、私はまいを本当の犬として見ていることが多くある。それ故に飼い主を名乗ることに躊躇はない。
つまり、どんな時でもまい=わんこ。というのが私の認識。

一方まいの中では人間モードとわんこモードがあって、わんこというのはSMでいうところの「牝犬」という意味合いが強いと思われる。つまり、マゾであり従順である。みたいな感じかな。ただ、まいは人間であってもわんこであっても従順というか慕ってくれていることには変わりないので、ここでのわんことはつまり、マゾということになる。

この部分の認識の違いが、今の状況をややこしくしている。

「わんこにはなれないの?」
「うん」
「まいはわんこじゃないの?」
「うん」

確認するようにこのやり取りを何度もしていると、飼い主としての私はやっぱり関係解消の話だよね。って思う一方で

「まいを好きになって欲しい」

この言葉を聞くと、この関係を解消したいわけじゃないんだなって思うんだけど、私にとってまいとわんこは同一なので「うーむ…」となってしまう。
本当に頭の柔軟性に欠けている男なんです。

それ以上は何を言わず、ベッドの上で放心状態のまい。そして私もよく分からなくなってきたので、ベッドの上に転がって頭の後ろで手を組んで考え始めた。一緒の空間にいるのに無言っていう状況は今回が初めてで、端から見たらものすごく重い空気に見えたと思うし、この時のまいもそう感じていたのかもしれない。

足りない頭を必死に捻ってひたすら自分の中で納得できる答えを考えていたら、そのうちにこの空気に耐えられなくなったのか、まいが私に対して背を向けてしまった。

このままでは埒が明かないので、「さーて、どうしましょうかねぇ…」と呟いた。とりあえず重くなっているであろうこの空気をぶち壊したかったのもあるし、言葉に出しながら自分の中のことを整理していこうと思った。

ということで、ここからしばらく私の独り言です。

「まいはわんこにはなれないんでしょ?」
「でも好きでいて欲しいんでしょ?」
「私もまいのことは好きなんだよ」
「好きってことは飼われていたいってことでしょ?」
「ってことは…人を飼うってことか?」
「人って飼っていいのか?」※まいを本当の犬だと思って飼ってたからです
「いやもう飼ってるのか」
「まいはわんこだけど人間だもんな」
「人を飼う…かー。なるほど、わんこではなくてまいを飼えばいいのか」

自問自答を繰り返して、ひとまず自分の中で腑に落ちるところまで辿り着いた。いつも困ったときにはこうやってひたすら自問自答を繰り返して納得が行くところまで持っていくのが私の中の解決法。

こういった形で私としては「犬を飼う」から「人を飼う」って意識に変わった。ちなみにnoteの中で、まいを「彼女」と表記することはこの出来事の前までは多分していないと思う。しているのは馴れ初めの話くらいじゃなかったかなと記憶しているんだけど、まいのことを「わんこ」「この子」という表現で用いることが多かった。それは私の中で犬を飼っているので彼女という表現はどうなのかな?と思っていたから。

「まい、わんこじゃなくていい?まいのことを好きになってくれる?」

この問いに対して

「もちろんだよ。まいのことが好きだからね。」

自分の中で整理できたので、いつものように気持ちを伝えることができた。
マゾ云々じゃなく当初からまいの存在自体が好きなので関係は今までと全く変わらないんだけど、まさか二人の中での犬の定義が違っていたとは…。早く気付いてあげられればよかったなーと思う未熟な飼い主でございます。

そしてこの出来事は、まいにとってすごく大きな意味を持ったみたい。
主の前ではマゾでなければならない。牝犬でなければならない。そういった所謂呪縛のようなものが彼女には以前からあって、私との出会いでだいぶ薄まってきたりもしたけど、根っこは常に残っていたんだね。

ものすごく疲れていてとてもマゾの気分にはなれない日でも、私と会ったらマゾとして楽しませなければならないっていう自責の念で苦しんでいたんだなっていうのが今日よく分かった。

ありのままの自分でいいってことがまいを呪縛から解き放ってくれたみたいで、この出来事のあとから彼女はより一層イキイキとしているように見えて飼い主としては嬉しい限り。

「犬」というものの捉え方がそれぞれ違っていたことも分かったし、この日でしっかりと摺り合わせができたんじゃないかな。

今まで通り、まいという人間をしっかりと飼っていこう。







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