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身を粉にして削ったら本当にえぐれた話

物騒なタイトルだけど、自分がえぐられた実話です。

今がきっと、自分の人生史上1番頑張らなきゃいけない時だった。

ターニングポイントと呼べる場所にいた最近のわたし。

今を超えるねん。
現実と対峙して、格闘して、とにかくがむしゃらだった。

人生初のダブルワークに挑んでいた。

わたしの中のダブルワークのイメージは勝手な定義だけど、
一日の労働指数のマックスを100とした場合

本業➕副業 →80+20

たまに類い稀な秀でた才能を発揮して、副業だけで本業の収入を遥かに超えた労働指数を叩き出す強者もいるだろうけど、リアルな労働指数ははせいぜい10〜20ぐらいじゃなかろーかと。

わたしの挑んでいたものは、

本業➕副業→100+100

何に向かってんの?と思うけど、向かう理由は大いにあって、
そのあたりはこれを読んでくださると少し見えてくると思うので想像力をふくらませて読んでいただきたい。

簡潔にいうと主人がいわゆる生業に就いていないが、一番の理由。

消去法で考えても家に
大人×2人
子ども×3人

元大黒柱の大人1人離脱。
となれば、残されたもう1人の大人が家計を担うの構図が勝手に成り立つ。

その担う方が現在わたしな訳なのだ。

ちなみにわたし3年前に働きに出るまでは10年以上バリバリの専業主婦していた。

だからね…わたしが家族5人! 一家を丸ごと担えるほどの収入を得る技量も技術も才能もなんもないんよ。
社会人経験ブランク10年以上って、もはや新卒より使えない人材の自覚はあった。

自覚に比例して働こうと思って受ける面接でもボンボン落ちた。
あぁ…わたしってば社会不適業者だっだのかと激しく落ち込んだりもした。

それでも家族崩壊させるわけなにいかない。人間やめるわけにもいかない。子ども食べさせないわけにいかない。

人間5人
家はローン有(数千万)
車もローン有(数百万)

と、立ち上がる理由はいくらでもあった。

そして奇跡的に仕事に受かった。
だから必死で働いた。
働くより戦っているの感覚に近い。


戦いに負傷はつきもので、やがて体が悲鳴をあげはじめる。
それを聞いてる場合ではなかった。

目の前のご飯は食べたくなくても食べた。体が動かなくなると困るから。
大好きだったコーヒーを飲みたいとすら思えなくなったときは楽しみが一つなくなったみたいで単純に悲しかった。

どちらの仕事もPCをフル活用するから一秒でも作業を早めるために爪を短くカットした。
ネイルを施し続けてきた現役OLみたいな手元は、子どもみたいな丸いおにぎり爪になった。ネイルあんなに好きだったのにな…。
そんな極限まで短い爪でもボロボロに欠けていった。
下唇にはヘルペスの北斗七星が並び始めた。
口紅はもう塗れなくなった。
背中にはできたこのない粒が出現した。なんだこれ…?

それでも、まだ頑張れる。
自分を過信してた。
というか、信じるしかないんだもの。
頼れるは我が身だけだから。


とりあえずもう一つの仕事は在宅案件なので家族の食事やお世話が終わった後から取り掛かかるようにしていた。

ダブルワークにプラスして主婦には家事だってある。それもある意味仕事で時に仕事よりハードだったりもする。
なもなき家事や育児…が否応なしに待ち構えている。
もはや、フォーワーク並みの稼動率。

フル稼働しながら昨日も本業の仕事が終わり駆け足でスーパーにいった。カゴにポンポン食材をいれながらゴロゴロとカートをおす。

なんとなく人から見られている視線を感じる。だけど疲れすぎてあまり視線も気にならない。

わたしゃーそれどころじゃないんで!見たきゃ見てくれ。

ネギをカートにひょいと入れたその時
カートの中にカゴがない!!

わたしは直に食材をカートに積み上げていた。買い物が終盤に及ぶまでまるでカゴの不在に気づいてなかった。

そりゃ人もみる。
スーパーでの視線の違和感は
あの人ったら、カゴ知らないの? 初めて買い物しんとか!の眼差しだったとは。

うぁぁぁ〜…。
わたしの中でその瞬間何かが、プツリと切れた。

わざと大きめな声を申請がわりに出してみた。
「カゴ忘れたわ〜へへへ」 
なんていいながら、スーパーで買い物すんのはじめてじゃないっすからの空気感を漂わせてからちょっと泣いた。

そして仕事を1つ辞めることを心に誓った。

夕飯時、家族の前で仕事一つ辞めてみようと思うと宣言した。家族も薄々わたしの限界を肌で感じ取り最近、妙に優しかった。

危機的経済状況を把握した上で誰1人反対しなかった。

徹夜も時々、平均2時間しか寝てない日があることも知ってくれてた。

主人が言う。

「何かを始めるより、何か辞める方が大変やんな」
「辞め。辞めた方がいいよ」

辞めることをまるで英断のように受け止めてくれたことに涙が出そうだった。
でもここで泣いたらみんなを心配させると思ってヘラヘラした。


元々頼まれてダブルワークをはじめたわけじゃない。
だけど、現実を直視したら、わたしがみんなを守るしかなかったから始めた二つの仕事。

主人に過労死するサラリーマンの気持ちが今ならわかるとはなしたら、僕もわかると言ってくれた。

彼も今はゆるい形で生きてるけど、同じ仕事に勤続23年間従事してきた経験がある。

仕事からの離脱の経験があるから、わたしの苦しみに理解を示してくれた。

彼にとってかつて仕事は人生の全てだった。
例えば、村上春樹=作家みたいに
彼の仕事が彼そのものを表すようなものだった。

この世から自分を示す代名詞がなくなる。それはつまりは社会的死を示す…ぐらいのダメージなんじゃないのか。
女のわたしでもそうだから、男の主人はもっとそうだと察する。

わたしは無職の夫をもつ奥さんになるのが辛かったけど、主人の方がもっと苦しかった思う。

一つの離職決断を英断のように称えてくれた主人のように、
彼が仕事を辞めるとき、わたしにはそれができなかった。

えっ、これからの生活は?
次の仕事は?
退職金は?

?が秒速で15個ぐらいとびかった。
どれもが彼を労うもんのではなく、己の行く先を案じるものばかりだった。

辞める心に寄り添うより、自分のことを思った。
それこそが地獄の入り口だったと今ならわかる。
相手の気持ちを想像力を働かせてそれを同じ気持ちで受け止めて、英断と称えれたなら、地獄とは違う入口を通っていただろと後悔している。

この出来事から本当の愛とは、相手を思いはかる想像力なんだと学んだ。

その晩、家族には夕飯の片付けはみんなでしとくからもう顔だけ洗ったら風呂も入らず寝ーと言ってもらったので20時に寝た。

仕事の心配や納期を気にせずただ深く眠ったのはいつぶりだろう。

今朝、在宅の仕事で使っていたパソコンのダブルモニター、延長コード、
積み上げた資料に書き殴ったレポートを全部、部屋から追い出して片づけた。仕事のクライアントには謝辞と辞退の申し入れをした。

本当に終わった。

そう実感が沸いたら、残りの配線のコードをグルグル巻きながら安堵なのか、悔しさなのか、なにかわからない涙がブワッとが出そうになって我慢した。

この仕事はずっとやりたかった書く仕事だった。
選考試験にも受かって自分の今後のスキルになればいいなとやりがいと希望を感じていた。

でも今のわたしにはそれに向き合う時間も技量も体力も全てが足りなかった。

やりたかった仕事を手放すことに心が痛んだけれど、人間らしい生活と自分の身とか諸々を考えると辞める選択しかなかった。

感傷に浸っている時間はない。

英断だった。 
これでよかった。
これがよかった。

出勤時、自転車をこぎ出す前に選んだ水流のロック。
生涯この曲を聞くたび今の自分を思い出すだろう。

流れもしないよ停滞のさなか
景色は似たり寄ったりだね
変わってみろよと挑発したとこで
世界は今日も臆病だね

水流のロック


ネイルも口紅もできない風体で、唯一施せるまつ毛に渾身の力をぶち込んでカールを作った。
完璧なアーチを描くまつ毛に重ねたマスカラがちょっと滲んだ。

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