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人生を変えてくれた3つの出会い ①高校の同級生T君編

僕には「あの出会いで人生が変わったな」と思える出会いが3つある。
この3人との出会いがなければ、今ごろどんな人生だっただろう、とたまに考えることがある。
この素敵な出会いを何か形に残しておきたくなってこのnoteを書き始めている。
今回はまず一つ目の人生を変えてくれた出会い、高校の同級生のT君について書いてみる。

1. T君と出会う前の僕

高校球児だった僕は、一般的な高校球児同様に甲子園を目指して勉強そっちのけで野球だけに集中する日々を過ごしていた。実際、春の選抜甲子園まであと1勝まで行ったし(決勝で戦ったチームのライバル選手は今もヤクルトスワローズで頑張っている)、「夏、甲子園に行けば推薦で大学に行けるだろ」くらいに考えていた。
だが、人生はそんなに甘くない。まして甲子園なんて簡単にいけるところじゃない。夏はあっけなく負けてしまい、当然推薦で大学にいくなんて無理な話になった。「あれ、俺も受験勉強しないと大学いけなくね?」というのが僕の夏のはじまりだった。
当時の僕の成績はというと、高校3年の夏の大会後に受けたセンター試験の英語の模試で200満点中80点くらいだった。地元ではトップの進学校に身を置いていた僕は(中学生のときは一生懸命勉強していた)、同級生から「それ偏差値かよ?笑」とバカにされたことをよく覚えている。ちなみにそのときの偏差値は35くらいだった。中学2年生で英検準二級をとっていた筈なのだが、英語のSVOCがわからない、そんな目も当てられない状態だった。

2. T君との出会い

そんなときに、担任との進路相談で「お前その成績で大学どうすんねん」と言われ、当時大学でも野球をやりたいと思っていた僕は、「慶應に行きたいです」と答えた。そのときの担任のキョトンとした顔は今でも忘れられない。本当にキョトン、としていた。
「お前、行けるわけねーだろその状態で」と半笑いで言われたことも、今でもよく覚えている。ただ、「それでも慶應に行きたいなら勉強の仕方をあいつに聞いてこい」と当時の担任に言われた。その”あいつ”こそがT君だった。
T君とは高校3年になってから同じクラスで、「なんだかすごい頭のいい、勉強のできるやつ」くらいに思っていて、思い出せるような会話も絡みもなかった。たぶん向こうも、僕のことを「野球を凄い頑張っているやつ」くらいにしか思っていなかったと思う。お互いに、“向こう側”の存在だった。
担任との進路相談を終えた僕は、その足でT君の机に行き、「慶應に行きたいなら相談してこいって言われた。俺に勉強の仕方を教えてくれ」とお願いしに行った。T君は二つ返事で快諾してくれた。それが僕らの“出会い”だった。
今思えば、あの時にあのレベルで慶應を目指すことを全否定したり、当時のレベルでも入れそうな他の大学を推してくることなく、背中を押してくれた当時の担任のおかげでもあり、彼にもとても感謝している。

3. T君との出会いで慶應法学部に合格

「慶應の法学部ならいけると思うよ」、というのがT君の考えだった。慶應法学部といえば、私立文系最難関で当時の僕は「いやいや無理でしょ、可能性あるとしても商学部じゃね?」という気持ちだった。「でも慶應法学部の入試は英語200点、日本史100点、小論文100点だから、英語と日本史で7-8割とれれば小論文30点でも行けるよ」、「あと慶應法学部の英語をわかるようになれば他のどの学部、他大学の英語も解けるようになると思う」というT君の考えに押され、慶應法学部を目指すことにした。
それからはT君の使っている英単語帳や日本史参考書(T君は慶應模試の日本史で全国1位を取るくらいやばいやつだった)やそれらを使った効率的な勉強の仕方を教えてもらったりT君のおすすめする予備校授業を受けたり、1日10時間くらい勉強に打ち込んだ。
結局、僕はその年の受験では合格することができずT君に1年遅れて慶應法学部に入学することになるのだが、あの時にT君が僕に戦い方を教えてくれていなければセンター試験模試で英語80点の状態から1年半で慶應法学部に合格するところまでいけなかったと思う(浪人後のセンター試験英語は196点、日本史は満点だった)。
合格後、挨拶にいった当時の担任にも「いやー、受けてみろとは言ったけど、まさかお前が受かるとは思わなかったよ、Tのおかげだな」と言われたこともよく覚えている。

4 T君との現在の関係

T君は慶應法学部から慶應法科大学院を経て現在は弁護士として活躍している。
僕はといえば、慶應で当たり前のように帰国子女や海外志向の友達がいる環境の中で、自然と目の向いた海外を舞台に働ける仕事に就いている。あの夏、英語のSVOCもわからなかった僕が、アメリカやオーストラリア、ドバイ、スペイン、フィリピン、インドネシアに旅行したり、社会人になって一人で中国やロシア、タイ、シンガポール、ベトナムなどに出張したり、今はタイの僻地に駐在したりしている。
T君に出会うことなく、あの時、慶應法学部を目指していなければ、今のように多様性に触れながら、豊かと思える人生を送ることができていただろうかと、思わずにはいられない。
そして、「そんなことがある?」という話なのだが、2021年1月にそのT君が僕の働いている会社の法務部に出向してきた。今はもうすでに帰任しているが、僕の人生を変えてくれた同級生と、同僚として飲むビールは最高に美味しかった。

このあと田町で焼肉を食べに行った

田町おじさん

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