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初・ラーメン二郎

 昨日はお腹を壊していたが、これ恐らくラーメンを食べたせいである。
ラーメンと言ってもただのラーメンではない。
最早ただのラーメンが一体何であるか、がわからないくらいにラーメン繚乱の時代でああるが、その日食べたのは、もやしのたくさん載った、麺が太いタイプの、あのラーメンである。
関西には意外とその手のラーメン屋が少ない。
新宿方面を歩いていたら、黄色いその手のラーメンを饗する店を見つけた。
朝から何も食べていなかったこともあり、入ってみようと思い、食券を購入する。席が空いているので座ろうとすると、並ぶように言われ、トッピングについて尋ねられる。
なんとなくの知識で「野菜を多めにしてください」と言って外に出る。
外で待ちながら口コミを調べていると、乳化だの天地返しだの元フーズ系だの点数が取れない、だのと他のレストランでは見かけない独特の用語を使用したものが目立ち、異文化感が匂い、期待が高まる。
暫くすると店の中に招じ入れられる。暫時待っていると目の前にそれ、が饗された。
野菜多め、とは確かに言ったが、ヤケクソのように盛られた野菜。麺が見えない。チャーシューもラーメン屋よく見る薄切りの行儀のよいものでは無く、肉塊、という感じ。
「大変なところに来てしまった」と思いながらも箸を突き立て突き立て、麺と汁を発掘するような気分で少しづつ食べていく、いや、食べ崩していく、と言った方が正しいか。

 これが食べて崩していると大変に美味であった。麺と脂と汁と野菜が混然一体となって「ガツンとしているだろ」と主張している感じ。なんだろう、合戦とかの後に食べたらよさそうな野趣がある。落ち武者狩りの後村の皆で食べると無闇に興奮しそうな食べ物。三日飲まず食わずの野武士が館に帰ってきて食べるような。
そういう戦国の風にこちらにも妙に興奮してきてわしわしと食べたのだった。

 ただ、三分の一くらい食べた時にあることに気づく「これはやっぱり量が多いぜ」である。
そうである。こちとら平和ニッポンの令和を生きる飼いならされたのろま人間である。腹を減らした野武士ではないのだ。
山と積まれたもやしと極太の麺、からみつく脂。軟弱、文弱の徒の僕はなかなかに苦戦をしてしまう。しかし「野菜を多め」などと頼んでしまっている以上残すわけにはいかない。それこそ、考えてみればまるで野武士のような風貌をしている店員に何をされるかわかったものではない。
必死に考え僕は「これはよく噛んで食べていると、お腹がいっぱいになってしまう。ドドド、と食べてしまわなければならぶ、ドドドだ。体に気づかれないうちに食べきってしまわなければ大変なことになる。ドドドだドドド」とある種冷静な判断で以て狂気に踏み込みこんだのだった。

 あとのことはもうよくおぼえていない。
とにかく無心で口にもやしと麺を運んでは嚥下していき、何とか全部食べ切ってスープを残して店を飛び出た時には意識朦朧意気阻喪。「生きることは食べること、生きるってこんなにも苦しい」などと独りごちながら、春に似合わぬ汗だくで新宿を食休みに歩くことになったのだった。

 この無理がたたり、翌日のお腹壊しに至り、朝の散歩中に。第一波到達の警報が鳴り響く中、トイレを探して走ることになったのだった。死せる孔明生ける仲達を走らす。胃の中の小滝橋二郎玉山を走らす。連日の春の汗だく。生きることはやはり苦しい。

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