2月18日 産経リビング五代友厚講座後記


今日は久しぶりに妻とお昼ご飯を食べた。
話題は主に3つ

1.「道になりたい」と供述した側溝男の話
2.ストーカーの話
3.陰謀論の是非についての話

だった。
僕が考えたことを妻にぶつけて、妻は妻なりの意見を述べてくれる。
大体意見は合うことはない。
でも妻の意見は面白いので、じっと聞く。
妻も僕の意見を聞いてくれる。

それぞれの意見を総合して妻は「あなたは大衆的ね。決して悪い意味じゃなくて」と感想を漏らしていた。
大衆的なことは素晴らしいことだ。
だって、僕は講談という大衆芸能を生業にするぞ、という人なんだし。と思った。

が、よく考えたら、大衆芸能を芸能として享受する側が大衆的という資質を求められるのであって、大衆芸能を職業とする人間が大衆的である必要はないかもしれない。と考え名直す。

大衆食堂のおやじさんの味の好みが大衆的である必要は全くなくて「生センマイしか食べない、必ずきなこをかけて食べます。むせるんですけどそれが良くって」という人でも別に焼きそばやオムライスや唐揚げをいい感じに作ってくれたら(量もそれなりに盛り付けてくれれば)それで大衆食堂のおやじさんとしては花丸だし、週刊大衆の記者の方が「ヒトデ図鑑以外の活字は全く読まないんです」と言っていてもちゃんと週刊大衆に「肉食女優夜のベスト50」とか「相撲協会の闇」とか「暴力団幹部構成員勢ぞろい」とかそういう記事を書いてくれていればそれでいいのだ。

しかし実際僕は大衆食堂の唐揚げ定食は大好きだし、週刊大衆も大好きだから、妻の言う通り大衆的なんだと思う。
でも、なんとなくだけれど肉食女優に俄然興味がある、暴力団の幹部組員が一体どんな顔をしているのかマジで気になる、貴闘力だけはガチに違いない、と思っているやつのほうが、享受する側としても優秀な方が書きてとしてもいい記事が書けそうな感じがする。
僕も自分の大衆的なところを信じていい講談を書いていきたいな、と思う。
週刊大衆の記事を参考に講談も書きたいと思う。
「肉食女優四十七人狂宴 冬の一番槍」みたいな。
それはちょっと違うのか。

ご飯を食べ終わった後、しばらく作業をしてから後、産経リビングさんに伺って、師匠のオンライン講座を見学させていただいた。
五代友厚についての講座。

五代友厚を一時間でざっと学べる。
全体を見てみると、五代は思ったよりもずっとエリートで、少年時代から藩の中で期待され続けていて、明治維新を迎え、そこが他の志士たちとちょっと違ったのかもしれないな、と思ったり。
ルサンチマンが全くなく、立身出世に自己肯定感を託すところが全く無かったから30そこそこで役人を辞めて下野できたんじゃなかろうか、と感じた。
多分、切り取り方によって印象がどんどん変わる人なんだろう。

終わってから師匠と少しお話をさせていただいたりして、帰宅。
大衆的なので、ミートソースを買った。
週刊大衆は買わなかった。時々買う。電車移動の時とか。買うなら週刊大衆だ。
また買おうと思う。とっても面白いから。

ここまで若干の不安があるとするなら、週刊大衆は本当に大衆的なのか、というところだ。
そこが崩れると僕の今日の日記の論旨は大きくぶれてしまう。
みんな好きですよね。ね、ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?