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3月28日 妹の子に会う


 飛鳥時代にタイムスリップしたわけではない。隋に行ってもいない。
僕には妹がいるのだ。年齢は3つ離れていて、幼少の砌には骨肉の争いを繰り広げ、時には流血騒ぎも互いに引き起こしつつも両親の庇護下、切磋琢磨をしながら育ってきた。

 妹は僕とはかなり様子の違う人間で、スポーツをよく行い、公立の良い大学に進学し、きちりと就職をし、仕事をバリバリとこなし、20代後半で結婚をした。ああ。あとちゃんとスリムな体形である。僕のように醜悪に太ったりしていない。
それが何がどう自慢になるのかわからないし、まったく別個の人間であるので、その言葉が正しいとは思えないのだが、自慢の妹である。あの妹と血縁があるというのはひとつ誇らしいことである。
妹の夫はなかなかの好青年でスポーツマン。高そうな車に乗っていて、車を持たない我々夫婦が母の実家に帰省するときには車に同乗をさせてくれる。噂によると柔道の猛者らしく、下手に喧嘩を売ることもできない。

 その妹に子供が生まれた。中々会いにいけなかったのだけれど、この日ついに会いに行く。初めて妹夫妻の家に行く。妹たちは阪急沿線の高層マンションの高層階に妹は住んでいた。オート・ロックである。妻と二人でマンションのエントランス、インターホンを鳴らして「はーい」という妹の声と共に自動ドアを開けてもらって、マンション内部に侵入すると、妻と二人いるのに、エレベーターを見つけられない。広いのだ。いっそ階段で、とも思ったが、部屋番号は4桁である。つまり、なかなか本当に上層階なのだ。なんとかエレベーターを手分けして探し、妹夫妻の自宅前までたどり着くと、妹が、その子を抱いて、エレベーターの前まで出迎えてくれたのだった。

 家に迎え入れて貰い、その子を見る。幼いころの妹に似た顔をしていて、面白くもあり、遺伝の迫力に対するおののきもあり。不思議な気持ちであった。
そろそろ4か月になる、ということで、よく笑う子であった。笑うので笑わせたい気持ちになってくる。しkし何を言えば笑うかわからぬ。「シチュエーションコメディが好きで」とか言ってもらえれば手掛かりになるのだけれど(いや、シチュエーションコメディが好きだとお手上げだな僕は。ああいう脚本を編み上げる能力がないから大きい声で押す芸をしているのだ)そういうこともなくただ「ああ」とか「だあ」とか「ぶう」とか言うているだけなので、こちらもまずは、とばかりに奇声を上げたり妙な顔をしたりしてみると、笑うではないか。好(ハオ)である。
夢中になって暫くの間調子に乗ってずっと遊んでもらった。
子供というのは面白いものである。確実に固有の反応なのだろうけれど、大人とは違うそれで、しかし子供には子供の中の「笑える、笑えない」があって、それを読み解いていくような感覚。

 自らの子を抱き、世話をし、そして育児を語る妹は2020年に亡くなった母に少し似ていた。僕も子供が出来たら父と似ていくのだろうか。うーむ。恐ろしい遺伝のなせる業である。
ただ幸い我々夫妻の周りの親戚には子があふれはじめていて、これを自前で持つ、ということを志向せざるを得ない寂しさ、や、各種要請、もない。子供は持たなくていいかな、というのが当夫妻の現在の見解だ。
個人的には時々現れ小遣いをくれたり、バカな漫画をくれたりする愉快で困ったおじさんに各所でなっていきたい。とは思っている。居たでしょう。なんか親戚にふわふわした、働いているのか働いていないのかわからない、でも親戚の宴席で妙に笑いをかっさらっていく、子供に怖がられていないおじさんが。そういう人にわたしはなりたい。

 妹夫妻の宅を出て、十三の気に入りの海鮮居酒屋へ。二人でお腹いっぱい食べて10000円くらい。妻に奢ってもらった。気前良き人である。もうちょっと飲むともうちょっと高いけれど。この日も相変わらず美味しかった。この店のことは、死ぬときにいい思い出として思い出すんだろうな、と思う。
大阪の時に滞在し、自宅扱いしている妻の宅へ戻って、購入したジンをソーダ割にして一杯だけ飲む。妻がソーダ割を作ってくれて、ライムを切って入れてくれたのだが、これが滅法美味しかった。奢ってもらって酒まで作ってもらって、家まで泊めてもらって大変な女傑と結婚をしたものである。

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