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「李香蘭」初舞台のクラシックホテル、瀋陽・遼寧賓館 (2019)

今のところ、一番最近の旅といえば、2019年のゴールデンウィーク。
4泊5日、現地滞在時間では正味3日半ぐらいで中国・遼寧省4都市(大連、瀋陽、鞍山、撫順)を回る濃密なひとり旅でした。
(中国旅行としては通算9回目)

その翌月に親の入院、翌年にコロナが待っていたことを思うと絶妙なタイミングで、今さらながら、行けたことに感謝です。

今回は、その旅から、瀋陽で2泊した遼寧賓館(りょうねいひんかん|リャオニンビングアン)を紹介します。
満洲時代に奉天ヤマトホテルとして生まれ、ほぼそのままの姿を残すクラシックホテルです。

枚数多めですが、流し見でお楽しみいただければ幸いです。

※基本、2019年撮影ですが、足りない部分を一部、2014年(宿泊あり)・2015年撮影分で補足します

瀋陽駅から遼寧賓館へ

成田から大連に到着後、タクシー(空港→大連北駅)で移動。
高速鉄道(大連北駅→瀋陽駅)に乗り2時間ちょっとで、瀋陽に到着。

瀋陽駅。

以前、瀋陽人から、初日本旅行で「東京駅を見て、瀋陽駅と思いました!」と聞いたことがありますが、こちらも東京駅を思い出します。

かつて日本人によって設計されたそうです。

のんびり、スマホで撮影しながら歩きます。

ようやく、遼寧賓館の側面が見えてきました。

ここからは、撮影日・時間を限らず、場所別に写真を並べます。

外観

2014

なぜか、毎回、昼間に真正面から撮るのを忘れてしまいます。

ということで、ライトアップ時の真正面です。

この4年前の姿と比べてみると、

2015

以前は、中央の液晶板と、その下に広告表示(Coors LIGHT)があったことが分かります。
派手好みな私ですが、ここに関しては、スッキリしているほうが良いと感じます。

この角度と似た、館内掲示写真(1920年代末期)と比べてみます。

屋上のアンテナ、玄関のホテル名表示が加わった以外、ほぼそのままであるように見え、よく保全しているなと感心します。

建設中(1927年)の姿も興味深いです。


玄関からエレベーターへ

2019年は確認し忘れましたが、初宿泊時、外壁に、かつてヤマトホテル(大和旅館)だった表示があるのを見つけました。

2014

そして中へ。


階段

旅行前の検索で、遼寧賓館に宿泊された方の良質なブログ記事(残念ながら、現在、公開されていません)に出会い、階段が撮影ポイントの一つであると気付かされ、意識的に撮りました。

当然、補修はしているのでしょうが、適度な古さ感があり、妙に落ち着きました。

ステージ

前述のブログ記事では、このホテルのステージが、かつて山口淑子氏が「李香蘭」になるきっかけの場だったこと、そして、それが今でも見られることを教えていただきました。

せっかくなので、旅行前、李香蘭関連書籍を新刊・古書で急いで集め、関連しそうな箇所を中心に飛ばし読みで予習。

※「李香蘭」および山口淑子氏に関しては、かなり知られた存在であることと、私の説明能力を考慮して、参考リンクだけで失礼します。私は未見ですが、劇団四季『ミュージカル李香蘭』や、テレビドラマ化(1989年沢口靖子主演、2007年上戸彩主演)でご記憶の方も多いと想像します。


山口氏は、1933年(昭和8年)、奉天ヤマトホテルでの初舞台について以下のように記述しています。

 ある日、マダムが言った 。「私のリサイタルの前座で歌ってちょうだい」
 マダムは毎年秋に満鉄が経営する奉天最高級の「ヤマトホテル」のホールでリサイタルを開いていた。日本、中国、ロシアと国籍を問わず奉天の名士が聴きに来る。
 着物を持っていない私のために母は質屋から質草になっていた振り袖を借りてきた。
 紫の地に自い鶴をあしらったその振り袖を着てステージに立った。「荒城の月」、シューベルトの「セレナーデ」、ベートーベンの「イッヒ・リーベ・ディッヒ」。どれも普段から練習してきた曲だった。上がっているのかいないのかもわからないまま歌い終えた十三歳の私 は、気がつくと割れるような拍手に包まれていた。
 次の土曜日、 マダムのピアノの前でシューベルトの歌曲を練習していると日本人の男性が訪ねてきた。奉天広播電台 (放送局)の企画課長、東敬三と名乗った。マダムのファンだった東さんはリサイタル会場で私の歌を聴いていたのだ。「ラジオで歌ってみませんか」。マダムもリュバも勧めてくれたが、突然の話に私は身を固くした。

『「李香蘭」を生きて (私の履歴書)』 (山口 淑子/2004/日本経済新聞社)

※「マダム」とは、当時、山口氏が呼吸器を鍛える目的で声楽を教わっていた「帝政ロシアのオペラ座で活躍したというドラマティックソプラノ歌手 、マダム・ポドレソフ」のこと

※これ以前の著書『李香蘭 私の半生』(山口淑子・藤原作弥/新潮社/1987、文庫1990)では、上記3曲以外にグリーク「ソルベージュの歌」の記述があり、計4曲歌ったとされています


山口氏の運命を大きく変えた場所と知り、少し緊張しつつ撮りました。

1998年11月放送のドキュメンタリー『李香蘭 遥かなる旅路~中国、ロシア』(NHK)で、山口氏はここを訪れています。

その際、当時残念ながら塞がれていたステージについては、

ここは、きっとステージだったとこだと思います。今はもう使ってないようですね。

初舞台については、

私はもう本当に前座で、3曲か、歌わせていただいたんですけども、怖くて怖くて、そのときはもう胸がドキドキして上がっちゃって。ま、よく心臓で歌ったもんだと、今から考えると思うんですけどね。

と、それぞれコメントされていました。
(私が観たのは、旅行後です)

もしステージが見えている状態で、そして、そこに立ってホールを見渡したならば、より臨場感をもって思い出されることもあったのでは・・・と、勝手ながら想像します。

ロビーでは、李香蘭初舞台の場所であると掲示されています(最上段)。

李香蘭、山口淑子氏に関しては、今後も本・CDなどを通じて関心を持ち続けたいと思います。


その他

以下は端折って掲載します。

ステージからの写真で見えていた大広間。

朝食は、ステージを見ながらここで食べました。

2泊で計7,000円台だったことを思えば、充分な内容でした。


2階か3階のエレベーターホール。


1階奥の展示スペース。


客室。

その窓から、

玄関から、

見えるのは、中山広場。

毛沢東像と、

遼寧賓館の位置関係。


2014年に初めて泊まったときは、少し奇異に感じたデザインとライトアップでしたが、

いつしか私は、すっかり気に入ってしまいました。


最後の朝。

遼寧賓館と、ついにお別れ。

次回、瀋陽を訪れるのがいつか分かりませんが、そのときもきっと、私はここに泊まることでしょう。

以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました。


<ご参考> ヤマトホテル関連記事

貴重な写真・図版入りで、わかりやすい説明をされているブログ記事です。


私は、2010年代、瀋陽以外にも、大連(宿泊あり)、旅順(外観のみ)、撫順、長春、ハルビンの旧ヤマトホテルで写真を撮りました。
折を見て、掲載できればと思っています。


※2022/02/14追記
写真の追加・入れ替え、加筆修正をしました。

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