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クリスマスな神戸

クリスマスな神戸に行ってきました。クリスマスに神戸で過ごすのは何年ぶりなのかは忘れてしまったけど、このツリーは見た記憶がありました。

ツリーを見た時に感じたのは『安堵感』でした。

春に満開の桜を観て、一年の経過を実感するのと同じように冬に満を持して輝くツリーを観て、また一年健康に過ごせたことに安堵しました。

クリスマスのようなイベントの素晴らしさの一面は、こうやって自分が今どこに立っているのかを思い出させてくれることなのかもしれないなと思いました。

もしイベントが無ければ、今日が何月で、今日が何曜日なのかも分からなくなってしまいます。

こうやって12月になると街がクリスマス仕様に着飾ってくれるから、僕は12月を、より強く認識できるのです。

クリスマスのような大きなイベントだけじゃないですね。

好きなドラマが木曜日にあったから、今日が木曜日なんだと強く認識できました。

金曜日がゴミの日だから、今日は金曜日なんだと思い出させてくれます。

そう考えると自分が今いつどこに立っているのかを認識させてくれるモノやコトって日常に沢山溢れています。

木曜日に好きだったドラマは『いちばんすきな花』ってドラマでして、この前最終回がありました。

このドラマの一つのポイントがゴミでした。

しわしわに萎れた花束、ゴミ袋の包装袋、人参の皮、貰い手のいなくなった指輪。

ある人にとってはゴミなものが、ある人にとってはゴミじゃない。反対にある人にとってはゴミじゃなくても、ある人にとってはゴミだと感じてしまう。

物一つとっても、それがゴミかどうかは人それぞれだよね、だから物事の良し悪しだって一つな訳ないよねってのが、このドラマに一貫して流れていた柔らかい主張だったと思います。

クリスマスもそうです。あれほど美しいツリーの灯りも、ある人にとってはゴミ同然です。

イルミネーションをゴミだと思う人にはその人の考えがあって、その考えを否定することはできません。

そういう人もいるよね、って考えていきたいです。

そして僕はイルミネーションは綺麗だと思う人です。

来年もイルミネーションを見たいと思っている人(嫁)と、どこかの灯を見れたら良いなと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございます。