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ベランダで梅小路

きのう、10/2土曜日、19時半から京都音博の配信だった。京都音博は毎年9月末に京都の梅小路公園で行われるくるり主催のフェスで、わたしは2010年と2017年に友人と参戦したことがある。去年はオンライン配信のチケットを買い、視聴した。去年は、「来年は梅小路行くぞ!」と思っていたけど、叶わなかった。ということで今年もオンライン。残念。でも、見ないという選択肢はなく、今年も配信チケットを買い、リアルタイムで見ることにした。

10/2、わたしが住んでいるあたりは前日の台風一過のおかげだったのか、なかなか暑い一日だった。太陽の日差しが強く、でもカラッとして日中は過ごしやすかった。夕方以降も寒くなく、暑くなく、ゆるやかに風が吹いて心地よかったので、「あれ、いつもの音博の気候…?てことは音博の雰囲気、再現できる…?」と思い、音博配信をベランダに出て聴くことにした。

初夏のころ、相変わらずの引きこもり生活をすこし楽しめるようにと、ベランダにイスを買っていた。お天気のいい日は、在宅仕事の合間にそこに座り、コーヒーを飲みつつ休憩している。そんなベランダのイスに座り、タブレットにイヤホンを差し、音博を聴くことにした。

梅小路での音博はたしかいつも19時くらいに終演するので、日が落ちていく中で演奏を聴く、という感じなんだけど、今回は19時半開演だったので、あたりはすっかり暗い。それが梅小路との違いだったけど、くるりの音楽とゆるい風に包まれる感触はまちがいなく梅小路感があった。これこれ、これがいいのよ!と、ひさびさの感覚に、新鮮さを感じた。どこかに足を運び、何かを楽しむのには、五感をフルに使っていたなあと、思い出した。

くるりに限らず音楽はあの頃の記憶をいっきによみがえらせてくれるものだと思っているのだけど、特にくるりはほとんどの曲が、その曲を聴いてたころの風景を思い出させる装置になっていて、音博聴いてたら、脳内タイムスリップを何度もすることになって、心の中が大忙しだった。

たとえば「How to go」は、ひとつめの国に住んでいたとき、わたしの住んでた町から首都の町に行く早朝発のバスのなかで必ず聴いてたのでその頃(2013年くらい)を思い出す。「ハイウェイ」は、大学院生のころ(2010年)に、ひと足早く社会人になった友だちに会いに札幌に向かうとき聴いてた場面が出てくる。「奇跡」は、ひとつめの国に行く前に出た曲で(2011年)、地元の町で夕方自転車に乗りながら、「この町にはしばらく帰ってこられないんだな」と切なく思った思い出がよみがえる。「さよならアメリカ」は、初めて音博にいった2010年にリリースされたアルバムに入ってたので、その年の音博を思い出す。そのとき鴨川に足ひたしたりした。

このように大忙しではあったけど、今を起点としてあの頃の自分を捉え直して、自分の自分に対する認識を再構築できるのは、わりと楽しかったりする。音博中もそれをしつつ、楽しめました。

京都に呼ばれている。旅に出たい。くるりの音楽をお供に出かけたい。もうすっかり秋だなあ。

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