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形にして知った知られた2023年と引退という手放す覚悟を決めた2024年

2023年は小泉志信にとって、種まきをしてきたことが急に花開いたそんな1年間だったんだと思います。

人生で初めて自分の名前が入った本が世の中に出て、ふわふわしたのも束の間、起業家として、富士通セミコンダクターソリューションズ様や文部科学省との仕事も始まり、起業家3年目にして本格的に「教育界と教育系以外の企業を繋ぐ会社」としてやっと社会に認知され、行動するチャンスを頂きました。大きな仕事はドキドキの連続で、これまで頂いたことのない金額を扱うことへ責任を感じながらも、やりがいを知ることができた充実した時間でした。

そして、同世代の仲間と作ったTABOOを語る教育サミットでは、有料イベントで2日間で延べ250人を超える人を集めると共に、小泉志信という人がいるということを知ってもらえる場でもあったと思います。

教員としては初めての異動で、胸が張り裂けるような経験をしました。前任校から異動してから9か月間は本当にドタバタでした。板橋区立板橋第十小学校の生活は挑戦の毎日でした。異動したその時から「起業家教員」として認識されていたこともあって、人生で初めて家でも学校でも「起業家教員」として24時間過ごす生活に最初はかなり戸惑いましたが、自分の持っているものを120%出し続ける生活は充実したものでした。

1000人を学校に呼んで人生設計を作る1年間の総合的な学習の時間を用いた探究学習の実践に取り組んだことや、渋谷QWSに採択されて、学校の先生達と職員会議をQWSでしたこと、なんともまあよくやり切れたなと思っています。メディアにも多く取り上げて頂き、「小泉志信=1000人呼んでる小学校教員」というイメージが広がっている印象も受けます。

そんな生活の傍らで、教師教育の世界に一歩踏み出すために、4月から広島大学の教師教育者のためのディベロップメント講座を受講して、論文を書いたり、大学院の授業を受けたり、教員志望の学生を相手に見取り合宿なんていうカリキュラムを開発したりとなんとも充実した日々でした。

ここまでやったことを部分的に書き出してみるだけでもいかに、この1年間が激動のものであったかを痛感できます。

そんな1年間だったからこそ、わかったことがあります。
それは、僕はたぶん「アイドル」みたいな生き方はできないということです。

今回の1000人を呼ぶ実践は、「公立小学校」でやることに大変な意義があると自覚しています。公立小学校が閉鎖的で挑戦できないと思われている中で、この実践が形になることは教育界にとって本当に大きな影響を産む可能性があると理解しています。

しかし、これはあくまでも教育界にとってです。目の前の子供や先生、事務、保護者など学校現場に関わる人にとっては関係ないことです。

今回の実践は、僕が板橋区立板橋第十小学校の四年生と出会って、あの子達のために何が必要か学年の先生と相談して、今1番必要なことだと思って始めようとしました。学年の先生とたくさんの対話を積んで、時に真剣にぶつかりもしました。

最近、この実践がメディアで取り上げられれば取り上げられるほど、この実践を広げていきたいという方に出会います。それはとても嬉しいことであると思っている一方で、どこか疑問に思うことがあります。

それはこの実践は小泉志信の実践では決してないことをどれだけの人が理解しているかということです。まず、この挑戦をやろうと思った時に、僕は正直この案を出すことすら躊躇いました。異動したばかりで、嫌われたくないし、やりたいことをやるためには人間関係が、重要だとわかっていたからです。そんな僕を背中を押してくれ、そして「子供のため」という軸をぶらさないで、数や見栄えなんかに囚われないで、対話してくれる学年の先生がいます。この二人がいたから僕はこの挑戦に踏み出せました。

管理職が、応援してくれて、協力てくれたこと。他の学年の先生に迷惑がかかってしまうのにも関わらず、いつも協力してくれていること。事務の皆さんがたくさんの人が来る日は朝から準備を手伝ってくれていること。保護者の皆さんが子供の成長のために、時間を割いてくれていること。地域の方が毎朝子供にも僕にも応援言葉をかけてくれること。

この子供達の教育に関わる全ての人の努力があって、初めてあの実践は形を為しているのです。だからこそ、自分のやりたいことをやるのが教育ではありません。目の前の子のために、学年や学校の先生、保護者・地域の人が力を出し合って形になるのが教育なんです。

だからこそ、僕達の実践を目指すことをゴールみたいに語る人が出てきたことに恐怖を感じています。

僕達がやっていることを実践の引き出しに持っておくのはとてもいいことだと思います。ですが、これは僕たちが子供のために思うベストを尽くした形にしか過ぎないのです。そして、やっている当人としては、正直改善の余地があり過ぎるので、満足できていないことも事実です。

目の前の人達と関係を築いて、届けられる子供と出会い、その子達のためにベストを尽くす、ただそれだけなのです。

ですが、今のままの生き方をしていくと、その目の前の子のためにベストを尽くすということが、環境によって、できなくなりかけているという危機感も感じています。

僕は一教育に携わる一人の人でしかありません。僕はこれから僕と共に教育の未来のために歩んでいける皆さんのことを同志だと思っていますし、僕はまだまだ未熟だと日々感じています。

にも関わらず、小泉志信の実践を見たわけでもないのに、賛美されることや、小泉志信という虚像が大きくなっている様子が見られ始めました。そして、そう言った人が目の前の子供に向かうのではなく、違う目的で僕と関わろうとすることが増えました。

僕達の実践も考え方も世の中の一つの考えにしか過ぎないと受け止めて欲しい。全てを鵜呑みにしないで欲しい。ちゃんと批判して、一緒により良いものを作っていきたい。目の前の子供のことだけに真摯に向き合える人と子供たちのために全力を尽くしたいんです。

「アイドル」みたいにファンが増えて嬉しいみたいな自分は1ミリもいなくて、むしろフラットに語り合える可能性が減っている気がして、どんどん人と関わるのが苦しくなっていくのがわかりました。

だからこそ、全てのことを両立するには僕の特性では向いてないみたいなんです。

教育界を良くするために発信すること、目の前の子供や先生のために全力を尽くすこと、大人を巻き込んで現場で実践すること、経営者として教育の可能性を最大化すること、一人の人として小泉志信を大切にすること、うん、冷静にこれだけ多くやれてきたなと思っています。

以上のことを踏まえて、小泉志信は引退しようと思いました。

まだ何を引退するのかは決めていません。

実践者を引退するのか、発信者を引退するのか、起業家を引退するのか、外部人材の活用した実践を引退するのか、まあ決め切れてはいません。

でも、少なくとも2024年は「一人の人として小泉志信を大切にする」を最重点項目に置こうということだけは決めました。たぶん、そのための余白を作るための引退なんだと思います。もう少し自分本位に生きたいと思い始められた今日この頃なんです。

ここまで長々と書きましたが、最後にどうしても伝えたいことがあるとすると、何かしらを手放すと決められたのは、僕が一人で抱え込まなくてもいいって思えるくらいの素敵な仲間と出会えたからだと思います。

2023年は年が近い同志みたいな友や、僕より年下で僕より何倍も可能性を秘めている後輩に、遥か先でもがいてるかっこいい先輩に出会えました。

そんな人達がいるなら、僕はもう少し自分本位に生きても大丈夫なんじゃないかと思えました。勝手に生き急がなくていいのかなって思えました。

長々と失礼しましたが、2023年は大変お世話になりました。2024年もどうぞよろしくお願いします。

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