【note版書籍】読書するほど馬鹿になる

Amazonで出版中の「読書するほど馬鹿になる」のnote版。

Amazonで買うより、こっちで購入した方が、読者にとっても筆者にとっても得。

note版は特別に1章、2章の途中まで公開。

ぜひ購入を。


## 読書するほど馬鹿になる ##

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## はじめに ##

私は読書が大好きです。
多いときは月に4000冊ぐらい読みます。
このような話をすると、大抵読書に関して多くの質問を受けます。


その中でよくあるのが


「オススメの本はなんですか?」
「どんな分野の本を読んでいるんですか?」

といった質問です。
実はこういう質問をする人は、読書に関して大きな誤解をしている可能性があります。
それは「読書するほど賢くなる」という誤解です。

実は、読書は諸刃の剣です。
自分の世界を広げる無限の可能性があります。
一方で、やり方を間違えれば自己洗脳して、カルト宗教のようになってしまう。
つまり方法を間違えると「読書するほどバカになる」可能性があるわけです。

そんなことあり得るのか?

と思う方がおられるかもしれません。
しかし、人間の脳の仕組みから考えればおかしなことではありません。

なぜなら


意識が認識を作る


のが脳の仕組みだからです。

この本を読んでいただければ、この言葉の意味がよくわかると思います。
それと同時に、バカになる読書を避け、自分の人生をより望み通りに生きるために、読書を有効活用できるようになります。

ではこの本の構成について説明しましょう。

1章でそもそも「なぜ本を読むのか?」「なぜ知識を身につける必要があるのか?」についてお話しします。
その中で「知性」というものについても触れていきます。

2章では、なぜ多くの人の読書の仕方が正しくないのかについて説明していきます。
多くの人の常識とされている読書法の間違った点について指摘します。

3章で、では、どうすれば人生を「より望み通りに生きる」読書ができるのか、についてお話しします。
4章では、さらに人生を望み通りに生きる方法についてお話しします。

この本を読んで読書を正しく使いこなして欲しいと思います。
読書を、人生を望み通りに生きる道具として自在に使いこなせることを願っています。


玉井幸助
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## 1章 そもそも、なぜ本を読むのか? ##

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## 「人生をより望み通りに生きるため」 ##

日本では多くの人が知識を欲しています。
そのために店頭や電子書籍のサイトを見れば、読書関係の本が数多く並んでいます。
それだけでも、知的に高いレベルの国民なんだな、と感心をします。

そもそもなぜ多くの人が知識を求めるのでしょうか?


勉強して新しい仕事に就きたいから…
年金のことが不安で、対策を打ちたいから…
新しいことを知るのが面白いから…

理由は人それぞれあることでしょう。
それらに共通して言えるのが

「人生をより望み通りに生きるため」

に知識を求めているということです。


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## 「自分に適した答えを出す」 ##

なぜ「知識を得る」ことが「人生をより望み通りに生きる」ことに繋がるのでしょうか?

それは、

「自分に適した答えを出す」

ことができるようになるからです。

例えば年金の問題。

多くの人が年金をもらえるのか否かについて懸念しているのが、今の日本の状況でしょう。
では、なぜ心配しているのかというと、「年金は危ないぞ」という話を耳にするからだと思います。

しかし、多くの人が「なぜ、危ないのか?」「何が、危ないのか?」について、ほとんど知らないのが現状だと思います。
なので、どうすれば自分にとっていいのか?、つまり「自分に適した答え」が出せないでいるのです。

では「自分に適した答え」を出すためにはどうすればいいのか。
それは、目の前の状況について理解すればいいのでのです。
上記の例なら、現在の年金の状況について理解するということです。
それはつまり、年金についての知識を得るということ。


現在の年金は賦課(下の世代が上の世代の年金を支払う)式である…
過去は積み立て式だったけれど、国が運用に失敗した…
賦課式は少子化社会には適さない…


このように知識を得て、年金について理解していきます。
すると、現在の状況が見えてきます。


年金は払っていたら、もらえる可能性は高い…
けれど、支払いの額より受給額は少なくなる可能性も高い…
そもそも、国がもう一度適切に運用してくれるか怪しい…


「状況」が見えてくれば、自分が望んでいる人生を生きるために、どのような選択肢が良いのかわかります。
年金の場合なら、

自分で資産運用してセルフ年金を作った方が良さそう
最寄りの国会議員に年金制度の改変をお願いしてみよう

といったものです。


つまり、「情報」がないために、現在の「状況」がわからない。
そして現在の「状況」がわからないから、何が「自分に適した答え」なのか判断できないわけです。

ということは、現在の「状況」がわかれば、「自分に適した答え」が出せる可能性が高い。
そのために「情報」を身につけて、現在の「状況」を判断するわけです。


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## 「どれぐらいの範囲の状況が理解できるか」 ##

このときに重要なのが、いかに広い範囲の「状況」を理解できるか、ということです。


広い範囲とは、時間的にも空間的にも「広い」範囲のことです。
より広い範囲の「状況」を理解できれば、より広い範囲に「適した答え」が出せます。

例えば、「今の日本についての状況」しかわかっていないと、その中でしか判断ができません。

日本では少子化が進み、しきりに「子供を増やせ」ということが唱えられています。
日本という状況の中では、子供を増やすことは、良い判断なのかもしれません。

しかし、「地球」という範囲で、現在の状況をみてください。
地球の範囲では、今でかつてないほど、人口が増加しています。

1950年には25億人だった世界人口は、2011年に70億人を突破。
2020年には80億人を突破する見通しです。
([国連人口部「世界人口推計 2017年改訂版(World Population Prospects, the 2017 Revision)」](https://population.un.org/wpp/Graphs/Probabilistic/POP/TOT/)より)


古くはマルサスの「人口論」で取り上げられたように、「人口増加と食料不足」という問題は人類存亡に関わる重要なものです。
ということは地球単位で見たならば、むしろ人口が減少している今の日本のような状況が良いのではないでしょうか?
むしろ日本のような国がたくさん増えた方が、人類の存続にとっては良いはずです。


また、「人口減少が進むと、現在の日本の経済規模を保てなくなる」という人もいます。
しかし日本以外の国では人口が増加しているのだから、その人たちを働き手として迎えれば問題はないはずです。

そのように地球規模で考えたならば、「子供を増やそう」よりも「移民を受け入れよう」の方が、地球という範囲で見ても、日本という範囲で見ても良い判断だと思います。


このように、現在の状況がどれくらいの範囲かによって、判断が変わります。
そしてより大きい範囲で現在の状況を捉えられた方が、より大きい範囲に有効な判断ができます。


これは時間という面でもそうです。
どれぐらいの時間の範囲で「状況」を捉えるかによって、「自分に適した答え」は変わってきます。
なのでより大きな範囲で考えれば、それだけの範囲で通用する「適した答え」が出せます。

例えば、30年先までの状況を踏まえて判断してみる。

30年先になれば、多くの業界にAIが浸透し、当然のように使われているでしょう。
AIと聞くと、なんだかすごいもののように思えますが、要は人間の指示に従っていろんな作業をやってくれるコンピュータのプログラムのことです。

ということは、ただ人間の指示に従うだけの仕事というのは、将来AIに置き換わる可能性が高い。

現に銀行は多くの業務がAIで代用できるので、将来はかなりの人員削減が予想されます。
ということは、ただ人の指示に従うのでなく、自分でAIに指示を与えられる能力を身につけた方が、30年先を見通したならいいわけです。

しかし、多くの人がそのような判断ができない。
なぜなら、すごい狭い範囲でしか状況を見れていないからです。

いまだに多くの人が銀行に就職したと聞くと「銀行なんて将来安泰な仕事につけてよかったね」というようなことを言います。
しかし、今銀行に就職するということは、40代50代のときにリストラされる可能性が大いにあるわけです。
そこで生き残るには、ただマニュアルに従って仕事をするのでなく、自分で新しい仕事を作り出せるようになる必要があります。
そのような能力をつけて、将来の数少ない人間の採用枠を勝ち取らないといけない。・
つまり、安泰とは程遠い状況なのが銀行です。

なぜそのような判断ミスをしてしまうかというと、ものすごく狭い範囲の状況しか見えていないから。
30年後でなく、現在の状況を見ても、銀行は調子がいいとは言えない業界です。
銀行が安泰というのは、完全に過去の状況なわけです。
つまり、多くの人が現在すら見えていないわけです。

要は「どれぐらいの範囲の状況が理解できるか」によって、「自分に適した答え」を出せるかが決まります。
つまり「より広い範囲の状況の理解」が「より望み通りの人生」につながるのです。


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## 現在の状況を理解して、自分にとって良い答えを出す能力が『知性』である。 ##

つまり、より広い状況を理解して、自分にとって良い答えを探す。
そのために、情報が必要なわけです。

情報

状況の理解

自分に適した答え
=より望み通りの人生

と言った具合です。


そのような仕組みを意識していなくても、実は本能レベルでは理解しています。
つまり「情報が人生を決める」ということを本能的にわかっているわけです。
なので、人間は常に何かの情報を求めています。

そして

「現在の状況を理解して、自分にとって良い答えを出す能力が『知性』である。」

と私は考えます。


その定義から考えると、「知性」のある人(もっと平たくいうと「賢い人」)というのは

「より現在の状況を広く、適切に理解できる人」

のことです。

逆に「知性」のない人(いわゆる「馬鹿な人」)というのは、

「現在の状況を、適切に理解できていない人」

のことです。

より狭い範囲、偏った範囲でしか「状況」が見えていない。
なので、広い範囲や長い時間で通用しない、一時だけの答えを出してしまうのです。

私たちは、いわば「知性を高める」ために、情報を求めています。

「知性を高める」というと何か特殊な能力を求めているようですが、上述の通りそうではありません。
誰しもが、自分の現在の状況を理解しようと、情報を欲しています。
そして、その上で自分に適した答えを求めています。
それは本能レベルにおいてです。


なので、「高い知性」を求める本能によって、人は「情報」を求めている、と言えるのです。

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## 重要なのは「知性」 ##

しかし、ただ闇雲に情報を集めれば、知性が上がるわけではありません。
一般的に多くの物事を暗記している人が「知性のある人」のように思われています。
しかし、持っている情報量が多いことは、必ず「知性」結びつく、というわけではありません。


例えば、オウム真理教の教団幹部などがそうです。

彼らの中にはは有名大学出身者がいました。
学問に対する情報量で言えば、一般人よりはるかに多くのものを持っていました。

しかし、そんな彼らが主導して、東京の地下鉄でサリン撒くというテロ行為を行います。
人命を全く尊重しない行動によって、社会がよくなるとは到底思えません。
しかし彼らはそのような範囲で物事が思考できなかったわけです。
オウムで教えられたことの中でしか思考ができなかった。

つまり彼らは、「情報」は持っていたけれど、「知性」がなかったわけです。

重要なのは「知性」です。
本当に知性のある人というのは「人を殺傷して社会が良くなる」なんて決して考えません。
なぜなら「自分も他人も含めて社会である」という広い範囲で状況が理解できているから。
なので、

他人を傷つける

=社会を傷つける

=自分を傷つける

ということが判断できるからです。


では、どのようにすれば、「知性」を高めることができるのでしょうか?

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## 意識の抽象度を高める ##


「知性」を高めるために必要なことは、一言で表せます。

それは


意識の抽象度を高める


ということです。

抽象度?意識?よくわからない

という方もおられるでしょう。

なので、その意味を理解するために、

①抽象度
②意識=認識

ということについて説明しましょう。

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## ①抽象度 ##

「抽象度」という単語を、聞いたことならある、という方もおられると思います。
これは簡単にいうと「物事が具体的なのか、それとも抽象的(概念的)なのか」の「度合い」を表した言葉です。


例えば、あなたが今読んでいるこの本。
これは、あなたが自分の端末にダウンロードした、玉井幸助の本です。
つまりかなり「具体的な情報」になります。
それはすなわち「抽象度が低い情報」ということです。


それの抽象度を上げてみます。
つまりより「概念的」にしてみる。
すると、「玉井幸助の本」という情報になります。
それは、この作品だけでなく、アマゾンの書店に置かれている他のいろんな「玉井幸助の本」も含まれていることになります。


さらに抽象度を上げると、「本」になります。

「本」という情報は具体的ではないですよね。
「本」と言っても、何か特定の人物の、特定の作品だけを指しているわけではありません。
例えば、夏目漱石、カール・マルクス、ルソー、アインシュタイン…
そのような様々な著者が書いた様々な作品。
そのようなものを全てひとまとめにして「本」と言っているわけです。
なのでこれはとても「概念的な情報」です。
つまり「抽象度が高い情報」と言えます。


これが「抽象度」の意味です。
そして重要なのは「抽象度が高い情報は潜在的に多くの情報を含んでいる」ということ。

この意味も簡単です。
上記の例なら、「玉井幸助の本」という情報は「本」という情報より抽象度が低いわけです。

つまり抽象度において

「玉井幸助の本」<「本」

です。

「玉井幸助の本」という情報には、「玉井幸助が執筆してきた全ての本の情報」が入っています。
しかし、それらには「他の著者の本の情報」は入っていません。

一方、「本」という抽象度の高い情報には、玉井幸助以外にも「あらゆる作者のあらゆる本の情報」が入っています。

つまり潜在的に含まれる情報量においても

「玉井幸助の本」<「本」

というわけです。
抽象度の高い情報の方が、必然的にそこに含まれる情報量が多いわけです。

これが「抽象度」の性質です。

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## ②意識=認識 ##


そしてもう一つの重要な概念が「意識=認識」です。

これは「意識が認識を作る」という意味になります。
「認識」とは、頭の中で「こういう音が聞こえるな」とか「こういうものが見えるな」と、感じることです。

実は人間の脳において、「意識」が「認識」を作っています。
「意識」が違うと「認識」が違います。
それはつまり「意識が違えば、同じものを見ていても、違うように見える」ということです。


そんな馬鹿な
同じものを見ているなら、同じように見えるに決まっている


と思う方もおられるでしょう。


しかし、これは事実です。

それを実証する面白い実験があります。
ダニエル・シモンズという心理学者が行ったものです。

内容は簡単です。
画面に白い服を着たプレーヤーと黒い服を着たプレーヤーが登場します。
彼らが同じ服を着た仲間とボールをパスし合います。
そして「白い服のチームは合計何回パスをしたか数える」というものです。

実際にインターネットにシモンズ氏がビデオを公開しているので、それを見て行ってみてください。

[「selective attention test」](https://youtu.be/vJG698U2Mvo)


いかがでしたでしょうか?

白い服のチームのパスは十五回。

しかし、本題はその後です。


画面に「ゴリラは見えましたか?」と表示されます。
そこで多くの方が驚かれたことでしょう。


「ゴリラ!?そんなのいたっけ?」


そこでビデオが巻き戻されます。
すると明らかにゴリラの着ぐるみを着た人が画面を横切っています。

多くの人がゴリラが横切ったことに気づかなかったでしょう。
これが「意識が認識を作る」ということです。

白い服チームのパスを数えてくださいというのは、「白い服チームのパスだけみてください」という「意識」にさせるための指示です。
すると「意識」している情報だけが入ってくるようになります。
結果、黒のチームのことは重要な情報でなくなってしまいます。
なので黒のチームのことや、黒いゴリラの情報はどうでもいいと頭が切り捨ててしまうのです。

つまり、人間は得た情報全てを認識しているわけではない、ということ。
自分が、重要であると「意識」したものだけを「認識」する、ということです。
その結果、目の前にあるのに「見えていない」ということが起きるのです。

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## 「知性を高める」ためには、「意識」を正しく持つ ##

以上で

①抽象度
②意識=認識

の意味がわかっていただけたと思います。


ではこれらが「知性を高める」ことについて、どのように重要なのか?


まず「意識が認識を作る」ということがポイントになります。
なぜなら、正しい「意識」でないと目の前の情報が「認識」できない、からです。


前述の例で、銀行員の現在と30年後の話をしました。
実はあの話も、この「意識=認識」で説明することができます。

AIやフィンテック(お金の管理に関するテクノロジー)のことについて知っていれば、「銀行員は将来、危うい」という状況が「認識」できます。
しかし「銀行員は将来、安泰」という「意識」で現実を見ていると、「銀行員は将来、危うい」という状況が認識できません。


だって銀行ってあまり潰れるって聞かないよ
AIって言っても、銀行員のやる仕事はできないでしょ?


そのように考えてしまうのです。
結果、例えばAIやフィンテックに関するニュースが目の前にあるのに、そもそも気づかない。
つまり、前述の実験のゴリラみたいになってしまうわけです。

「意識」を正しく持っていないと、そもそも状況の「認識」ができない。
言い換えると、間違った「意識」では、現在の状況に関する「情報」が頭に入ってこないわけです。

情報

状況の理解

自分に適した答え
=より望み通りの人生

というのが、自分の人生をより望み通りに生きるための流れになります。
より広い範囲で「自分に適した答え」を出せるのが「高い知性」なわけです。


ここに、「意識=認識」を足すと


正しい意識

正しい情報の認識

正しい状況の理解

自分に適した答え
=より望み通りの人生


ということになります。
逆に

間違った意識

間違った情報の認識

間違った状況の理解

自分に適していない答え
=望み通りでない人生

ということでもあります。

なので「知性を高める」ためには、「意識」を正しく持つことが大切です。

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## 「抽象度」 ##


では正しい意識とは何なのか?


その時に出てくるのが「抽象度」という概念です。

実は、知性を高めるための意識とは「抽象度の高い意識」のことです。


より「抽象的な意識」を持っているほど、現在の状況に関する情報を「多く」手に入れられます。
結果、より望み通りの人生を生きるための判断がしやすくなります。

ここで疑問があるでしょう。

なぜ「抽象度の高い意識」だと、より多くの情報を手に入れられるのか?

それにあたって、まず「抽象度の高い意識」とは何なのかを掴み損ねている人もいると思うので、そこから話しましょう。


「抽象度の高い意識」とは「抽象的な物事を重要だと思っている意識」のことです。
例で説明した方がわかりやすいでしょう。

例えば、アマゾンの書店であなたが「速読」の本を探していたとします。
その時あなたは「良い速読の本がないかな?」という抽象度の意識なわけです。
ということは、「速読の本」に関する情報ばかりが認識できます。
しかし目の前に「新聞についての本」だとか「メディアについての本」があっても、目に入らないわけです。
それは意識が「良い速読の本がないかな?」なので、「速読の本」以外は認識できないからです。


この「意識の抽象度」を上げてみましょう。

「速読」の抽象度を上げると「情報収集」になります。
「情報収集」という情報の中には、数々の「情報収集」に関する情報が含まれています。
インターネット、旅行、インタビュー、取材、読書…
その中に「速読」という方法もある、というイメージです。

そして「情報収集」という抽象度の高い意識で、アマゾンの書店をみてみるとどうでしょう。

当然「速読」の本が目に入ってきます。
そして先程は目に入らなかった「新聞についての本」や「メディアについての本」も目に入ってくるでしょう。
なぜならそれらも「情報収集」に関係のある本だからです。
さっきとは「意識」が変わっているので、当然「認識」できるものも変わります。

前述のように「抽象度の高い情報」には、潜在的に様々な情報が含まれています。
なので「抽象度の高い意識」を保つと、認識できる情報の量が増えます。


上記の例なら


速読(意識) → 速読の本(認識)
情報収集(意識)→ 速読の本、新聞の本、メディアについての本…(認識)


と言った具合です。
抽象度が上がるほど、認識できる情報量が増えているのがわかるはずです。


ということは、知性を高めるには「抽象度の高い意識」保つことが重要な訳です。
なぜなら、より広い範囲の状況を理解することが、「知性を高める」ことにとって重要だからです。
それには、より多くの情報が必要なわけです。


つまり

抽象度の高い意識

圧倒的に多くの情報の認識

広い状況の理解

広い範囲で通用する、自分に適した答え
=高い知性
=より望み通りの人生

ということです。


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## 「抽象度の高い意識」の方が、「圧倒的に多い情報量を得ること」ができる ##


ここで疑問がある人もいるでしょう。

ただ多くの情報を持っても、それが必ず「知性」ではない。
「知性」を高めるためには、「抽象度の高い意識で、多くの情報を認識すること」が重要。
なら「ただ多くの情報」と「抽象度の高い意識で認識した、多くの情報」は何が違うの?

というものです。
これの違いは簡単です。


「抽象度の高い意識」の方が、「圧倒的に多い情報量を得ること」ができる

というものです。


なぜなら「抽象度の高い意識」を持った方が、より「抽象度の高い情報」を認識できる。
それは結果として、「圧倒的に多い情報量を得ること」につながる。

どういうことか説明しましょう。

例えば、受験のために「1600年に関ヶ原の戦いがあった」だとか「西軍と東軍がぶつかり合った」などという情報を覚えた経験があると思います。

そのような抽象度の低い(具体的な)情報というのは無数にあります。
西軍の参謀は〇〇だった、●時頃に合戦が始まった、△人の死傷者がでた…
挙げだせばキリがありません。

しかし、抽象度の低い情報というのは応用が利きません。
「1600年に関ヶ原の戦いがあった」ことを覚えていても、自分の入った会社の経営を立て直すことには何の役にも立たないでしょう。
つまり抽象度の低い情報を頑張って覚えても、あまり役にはたたないわけです。


ですが、抽象度の高い意識を持っていると、抽象度の高い情報が認識できます。


関ヶ原の戦いを「勝負」という高い抽象度の意識で見てみましょう。
すると例えば「敵の一部の勢力を味方に取り込んだ」から勝つことができた、という情報が認識できます。
そしてそのような抽象度の高い情報は、他の場面で応用できます。

例えば、ソフトバンクの孫正義さんは、対抗企業を買収して自分の所に取り込むM&Aで勢力を広げていきました。
つまり「敵の一部の勢力を味方に取り込んだ」というとも言えます。
経営を他の企業との勝負という意識で見れば、関ヶ原の戦いも自分の会社の経営も同じものなわけです。
つまり関ヶ原の戦いで得た抽象度の高い情報が応用できます。

これが「知性」です。
抽象度の低い情報をいくら集めても、状況を理解することには応用が利きにくい。
しかし抽象度の高い情報は、様々な状況に対して応用が利きます。
結果、より広い範囲で状況の認識ができる。

では抽象度の高い情報を認識すづのはどうすれば良いのか。
それは抽象度の高い意識を持つことです。

「抽象度の高い意識」の方が、「圧倒的に多い情報量を得ること」ができる。
なので、より望み通りに生きるために、「抽象度の高い意識」が重要なわけです。


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## 2章 バカになる読書 ##

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## 「知性を下げる読書」 ##

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