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名前で会話が広がることも

 自分の名前とは、基本的に生涯つき合うもの。

 読み仮名がないと読めない名前の場合、毎回間違えられると、本人としては結構困る。周りをみると、間違えられる度に指摘するのも面倒なので、大事な場合を除き、諦めている人もいる。

 名前について、より意識するようになったのは、大学のときにアメリカに留学してからだ。
私の台湾人の友人は、日本人以上に名前の画数を気にしていることを知ったし、いろいろな国の人から名前の意味を聞かれることも多かった。

 私の名前は発音がし辛く、アメリカ人の友人から「キャオリ」と呼ばれていた。「coyote(コヨーテ)と発音が似ている」などと言われたり、「発音が難しいから『K』と呼んでいい」とも言われた。
 呼びやすいように、英語のニックネームをつけている留学生は、周りに多かった。
 韓国人の友人からは、「韓国語では、エイを『カオリ』と言うんだよ」と教えてもらった。自分の国では、あの人の名前はこういう意味だ、(例えば、スペイン語で「チカ」は「女の子」だし、「ノリコ」は「美味しくない」か「金持ちではない」いう話を留学生同士で話して興味深かった。

 大学時代のアメリカ人のクラスメイトは、おじいちゃんも、お父さんも、自分と同じ名前だという人がいた。「もし私があなたの家に電話をかけて、あなたを呼び出したい場合はどうすればいいのか」と聞いたら、「3rdと話したいと言えばいいよ」と言われて、文化の違いを感じた。

 そんな経験から、子どもに名前をつけるときは、他の国の人からも発音しやすくて呼びやすい名前がいいなぁ、他の言語でも寛容できる意味で(これは調べきれないので、主に英語)画数もよい方がいい、など考えながら名付けをした。

 日本人でも、親子や兄弟姉妹で共通性のある名前の人もいるので、名前の由来を友人に聞いてみると楽しかったりする。

 名前は長くつき合ううちに、愛着がわいてくる。名前一つからも会話が広がるので、名前は重要だと思う。

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