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私達には永遠にわからない -おかえりモネ118回を見て感じたこと-

第118回を見て朝からずっとぐるぐるしていて、とりあえずその日のうちに書いたブログをnoteにも持ってきたというnoteです。
ブログのほぼまるまる転載(適宜加筆修正)と、119回を見ての、ちょっとの追記。

本当にずっとぐるぐるしていました。
残り2回でこんなのぶちまけんなとお怒りの人もいるかもしれないが、何せ私は、遅くても6月半ばくらいからおかえりモネの修羅として生きてきたので、モネに意見する輩を手あたり次第ブロックし終わっているので(強気)それと同じくらいの強気で書かせてもらう。
あと2回なのに。じゃない。そういう問題じゃない。「118回もの時間を重ねないと」モネはみーちゃんのこの最大の秘密にまで辿り着けなかったのだ。そしてみーちゃんもまた姉にこの自分の原罪にも等しい秘密を打ち明けられなかったのだ。

これまで前期朝ドラにいまいちハマりきれなかった私が、このおかえりモネにあまちゃん以来8年ぶりにドハマりしていることは最初のモネnoteに書いた通りであるが、オイオイオイ!! 8年間の負債どんだけ利子付けて返してんねん!!! というくらいにマジで巨大すぎるものを受け取ってしまったと感じている。タグ付きツイート数、スカレ越えちゃった。放送中なのに円盤も買っちゃってるよ。スカレまだ買ってないのに!
ていうか「おかえりモネの為に何か出来ることはないのだろうか…(大の字)」みたいな書き出し大の字で始まるモネnote三作目を書きたいなあとぼんやり思ってたのに、それどころじゃない案件がブチ込まれて呆然としてしまった。

モネnote第一弾と第二弾これ↓です。

絶対にたどり着けない悲しみと苦しみ

とにもかくにも。
最終週であり、私は「おかえりモネ」にあまりにも沢山の素晴らしいことを教えてもらったし、それを胸に抱いてこれからも生きていく、そういう終わりを迎えるのだと思っているし、今も信じている。

でもそんな(それこそ)「きれいごと」だけで終わらせてはいけなかったのだ。「どんなに時間をかけても絶対にたどり着けない理解し得ない悲しみと苦しみを大切な人が抱えている」ことを、私達は忘れてはいけなかったのである。
のほほんとモネを卒業して今度はカムカムに入学するはずだった私は、叩きつけられた、と感じた。「何かお忘れではないですか」と後ろから刺された気持ちだ。
この突き刺さったものこそ、このフィクションである話を限りなくノンフィクションにしている。そう感じる。言うなればリアリティがあると言ったところだろうか。

ずっとみーちゃんには何か秘密がある、とうっすら感じていた。「おばあちゃんは?」のモネの問いかけに、みーちゃんは何故か、どういうわけか躊躇を見せていた。――これも今にして思えば、と言う気付きであるが――

だがその真相に私は、のんきな朝ドラおたくな視聴者の一人でしかなかった私は、2021年10月27日7時43分が来るまでまっっったく思い至れなかったのだ。
完全におかえりモネの脚本が仕掛けた叙述トリックにハマっていた。「みーちゃんは何とかしておばあちゃんと避難していた」と、その時間が来るまで完っ全に信じ込んでいたのである。
通勤路を歩きながら「推理小説で真犯人が別にいると知ったような感覚」とツイしたのだが、モネタグ内で「おばあちゃんが語りなのにそれを語らなかったことによる叙述トリック」と評している方がいてそれだ!と感じ私もその発想をお借りした。

でも。
思うのだけど、生きていく中では、大切な人の重い過去や思いもよらない事実や痛みを打ち明けられることがきっとあると思う。
それはいつだって突然やってくる。モネの第118回のその時みたいに。
(むちゃくちゃ個人的なたとえばであるが、aikoの両親が今離婚している状態にあることを、私は今年、彼女のラジオの何気ないトークの中でようやく知ったし、aikoが小学4年から高校卒業まで両親の不仲が原因で親戚の家で暮らしていたということも、彼女を追って数年後のインタビューで初めて知った話だった)

あと2回……と言うけど、いや、「それに対してこれから解決をしよう!」という発想がそもそも驕りだ。
とにかくこれは「おかえりモネ」という作品が最後の直前まで隠していた最大の核心であり、つまるところ、結局は部外者でしかない私達が“あの日”を扱うのは、「残念ながら半年で描ききれるほど簡単な問題じゃない」どころか「私達には永遠にわからない」ということこそが、この作品が提示する「解」なのである。
最終回予告文やフォトギャラリーを見てこ~れはみーちゃんエンドですわニコニコと言ってたただのオタクだった私があまりにも平和過ぎる。そう。ある意味では凄絶過ぎるまでにみーちゃんエンドである。

大体、まだ十年しか経っていない、未だ傷の癒えないあの未曾有の出来事に対して、エンドマークを付けようとすることこそが傲慢なのである。
消えないし、許せないし、立ち直れない。
そうやって生きていく。きっとどんな人だってそう。
痛みは痛みとして、抱えていってもいい。

少しでも近付くことが出来れば

だがしかし。
この作品でまさに「部外者」の代表である、モネの将来の伴侶・菅波光太朗が「あなたの痛みは、僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」と言ったことを、私達はあまりにも覚えている。
生きていく上ではこういうこともある。こういう、どうしようもない問題を突き付けられてただ絶望というか、呆然とするよりないことだってある。
モネの第1週から第3週までの脚本が掲載されている月刊ドラマ2021年11月号で、脚本の安達さんが「「わかりたいけど絶対にわからない」という現実に絶望してしまったりもする」と書いていたのだけど、それを読んだ時はりょーちん周りのことを言っているのかな…と思っていたのだが、おそらくこのみーちゃんの抱えていたことだったのだと思う。

わかろうと思っても、どうしても届かない。辿り着けないこともある。
でも、それでも一緒にいたい、何か出来たら、少しでもあなたの気持ちに近付くことが出来れば、と思う。それを諦めることは、したくない。
その気持ちが間違っているとは思わないし、むしろそれこそが大事なんじゃないか。
私はそんなことを考えているわけである。

残念ながらわからない。だけど、きっとお姉ちゃんに言ってもわからないだろうな、と思っても、辛くて辛くて、ずっと抱えていたその原罪のような秘密を、みーちゃんがモネに打ち明けられるようになった。
言えてよかったと、確か彼女は言っていた。そういえば菅波も、まずはどこが痛いか言えるようにする、ということを言っていたな。
それだけでも……もうそれだけでも、この作品が目指していた一つのゴールなのかも知れない。もしかしたら永遠に誰にも言えないままだったかも知れないと思うと、やっぱり苦しいから。

ほんとうに生きている

さて、残すところ明日の最終回なわけだけども。
ただの視聴者でしかない私達にとって、彼女達の人生が見えるのはたった半年(19歳~24歳、2014~2020年の約6年)だけだったけど、百音と未知の人生はこれからずっと続いてくのであって、未知が9年かかってやっと打ち明けられたのも、今回その長い人生の一場面をたまたま見てしまったに過ぎないわけです。
だから、あと2回、なんて言い方がいかに視聴者目線というか、俯瞰して見ることが出来る第四の壁の向こう側にいる者の驕った見方だったか、おわかりでしょうか。

本当に生きている人物たちだと、そう感じる。きっと2021年の今、今日の今のこの時間にも、彼らは生きているのだ。
果耶ちゃんや坂口さんが「(モネも菅波も)この先どこかで生きている」と言う風に語るのは、それだけ現実の人間もかくや、というくらいに生きている人間を脚本の安達さんが書き、演出の一木さん達が考え、果耶ちゃんを始めとする皆さんが演じたからでしょう。
フィクションなのにノンフィクションのよう。すごいね。
そう感じられる作品に、どれだけ出逢えるだろう?

悪くないって、言い続けること。私たちが出来ること、究極それしかない。
寄せては返す波のように、みーちゃんが自分を苛めるなら、苦しめるなら、百音が、私達がそう言い続けるしかない。
もっといい方法がもしかしたらあるのかも知れないけれど、まだ、まだわからない。
だけど今は、ただ傍にいたい。言葉を届けたい。
傍にいることも、悪くないと言い続けることも、諦めたくない。

気象予報は未来予知(わからないことをわかりたく思う)

ところで、この物語で何で気象予報を題材にしているのかなと思ったんだけど、ひょっとすると、一番身近な「わからないことを、わかろうとする」ことだからなのかな、と感じた。
そのモチーフとして気象予報が一番最適だったのかと、そう思う。

そして私が時々ツイートしていたオタクは名前を考察するのが好きシリーズ(いつかまとめたい)を、唐突にここでやるんだけど。
未知とは「知らないこと」であり、それは言いかえれば、「わからないこと」だった。
そして、一番身近な“未”来予“知”――「わからないことを、わかりたいと思うこと」が“気象予報”ならば、主人公であり未知の姉の百音がそれを司る人として在るのは、あまりにも相応しいかたちであったなと、しみじみ思う。

朝ドラの貴重さ わたしたちに出来ること

特にオチらしいオチもなくそろそろ終わります。そもそもブログ記事を移植したかっただけでした。
なんだか……本当にすごいものにブチ当たってしまった。なんか毎週大の字になってたような気がする。
朝ドラをよく知らない方は、たかが朝ドラで~? 帯ドラで~? と思うかも知れないが、毎週15分×週5回×6ヶ月というあまりに長尺の話数で物語を紡げる場所は、おそらく日本でこの枠しかない。
それを想像を絶するくらいものすごく多くの人が、なんとなくの気持ちで見てる人や時報代わりに見てる人や、在宅の仕事のお供に見ている人や、そして私みたいな朝ドラに熱心なおたくまで、見ているのだ。

この枠でこの物語を紡いでくれて、制作者の皆さん、本当に本当にありがとうの気持ちでいっぱいだ。

いっぱいなので、明日は…みんな…わかってるね…
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ひょっとしたらこれで…スピンオフとか!なんか!あるかもしれんで!!



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