いなくていい人

わたしが『たま』のこのへんてこりんな名前がついた曲に心つかまれたのは去年の8月頃のことだった。

”ねえ 誰かぼくの嘘を
まじめにきいてくれないか
ぼくのおしごとはいなくていいひと

ねえ誰でもいいからぼくの嘘を
きいてくれないか

ぼくのおしごとはいなくていいひと
ぼくのおしごとはいなくていいひと”

”いなくていいひと” なんてきっとひとから言われたらものすごく傷つく言葉じゃないかと思うんだけど、車を運転しながら耳に入ってきたこの詩をきいて、不思議と悲しい気持ちにはならなかった

むしろなんだかほっとしたことに自分でも驚いて、それからなんども聴いた。追われるような急かされるような気持ちがすっとおちついていった。

「わたしのおしごとはいなくていいひとです」
そう言ってみたくなった。

お仕事はなにしてるんですか?ってきかれるたびに
居心地わるい思いを抱えていた去年の夏。

その頃はお腹に赤ちゃんがいて、一年間という期限付きの仕事をしていた。自分が好きだった食に関わること(念願の)だったし、家に引きこもり気味だったわたしは、週に一日、二日でも社会と関われるということがこんなにも心を楽にしてくれることに驚いた。
だけど、自分のペースで働かせてもらっていたにもかかわらず、いろいろなことを言い訳に中途半端な関わり方になってしまった自分にがっかりしていた。

どうやら、わたしはじぶんがずいぶんと空っぽに思えると、この歌を聴きたくなるようで、今ふと思い出したのもきっとそんなこと。

最近は、プロの奢られる人とか、ただ一緒にいるだけで何もしませんよって人たちがいたりするようで、なんとも潔いなあと思うのだけど、でも、それにしたって  ”ぼくのおしごとはいなくていいひと”って極め付けって感じだ。

"ぼくはいなくていいひと"
じゃなくて、おしごとなのも気に入っている。

今日も自分自身に対する視線は、わたしの存在への歯切れのわるさを抱えている。 そこに心地よい言葉を当てはめてみようとするけど、ピタッとくるものはなかなかない。

絶望的に悲しいタイトルだけど、音楽がこんなどうしようもない気持ちの時に救ってくれるようになってんだな、なんて思う。

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お読みいただきありがとう。


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