ゲルと裁縫箱と野菜

「裁縫箱貸してくれん?」

農家の友人が、鶏をさばいてモンゴル人とBBQをしようと企画してくれたその日、ゲルの持ち主でもある彼にそんなお願いされた。


お願いと言っても、私の家はBBQをする場所から走って30秒ほどだったので、二つ返事で取りに行く。

歯で糸を切り、モンゴルから日本へやってきたハンさんはスイスイと2つの布を合わせて縫っていく。ゲルを建てたり、ヤギを肉にしたり、何度も彼らの大きな手が色々なものを解体し色々なものを作り上げるのを目にしてきたが、毎回、「手」というのは素晴らしい道具だなと思わされる。

その一方では、鶏を一日何百羽もさばいていたことがある友人が、捕まえてきた鶏をしめる。湯につけ冷水につけ、すばやく羽を抜いていく。こうすると温度が上がらず内蔵が悪くならないらしい。

腱、モモ、ささみ……順番は忘れたけれど、一部位ずつ丁寧に見慣れた姿に切り離されていく。高知のスーパーでよく売られている「せせり」は首のところの肉だけど、「これは取るのが大変やから」といってスープの鍋へと入れられる。

昼前から始まったBBQは夕方まで続き、友人は(農家さんなので)ちょっと、と言ってハウスを片付けに帰った。

こどもたちが日が暮れ始めた中駆け回っている。チャリンコでドラフトをしているやんちゃ坊主たちもいる。

さて、そろそろ帰ろうかという頃に、友人がさっと戻ってきて「たまちゃんわざわざ取りにいってくれてありがと」といって、畑の野菜をビニールに入れて渡してくれた。裁縫箱のお礼らしい。

わたしはこの「ありがとう」をたまに思い出す。

ごくごく些細な私の行動にありがたみをもってくれて、わざわざ野菜を渡しに戻ってきてくれた友人に驚いた。

当たり前を当たり前にしない人。

生きていることすら、やっぱり当たり前じゃない。(今日はユンボ(重機)で大怪我をして一命をとりとめたという大工さんと飲んだ。)

当たり前を当たり前としてしまったらもったいないことが世の中にはたくさんある。

「当たり前」を視界に捉えたら、きっとまた見える景色が変わりそうだ。

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