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「できないを認める」は「できる自分を認める」ことで自分を知るだけのこと

杏がときどきリーディングして
認識できた過去生とか潜在意識をおしえてくれます

今回出てきたのは「拗ねている潜在意識」

何に拗ねているんだろう・・・・

拗ねてる潜在意識に話しかけてみる
どうしたの?何拗ねてるの?何か言いたいことがあるなら言ってみて

「わたしを見てくれない」

見てくれないということは
見たくない「わたし」がいる
ということだよね
なんだろう・・・

ふっと湧いてくる言葉は
「わたしを認めようとしない」

わたしはわたしを認めてはいけないと思っている
ということ?

わからなくもないけど
認めていいというボーダーラインはないかもしれない

なんとなくのできてるかも
いいかも

の、ぼやっとの認めるかんじはあるけど
よしオッケー!みたいな「認める」はないなぁ
うん、できてる
とか
自分だけの力でやったことを評価していないかも

撒き割りとか草刈りとか料理とか
ささいなことでもできて当たり前
できたことにも「まぁまぁ」と評価して
わたしは絵を描くのが得意ですって言うことがあっても
まぁでも誰々さんに比べたらたいしたことない
って否定は必ず入れているかもしんない

だいぶ外してきたブロックだけど
「自分を認めてはいけない」というのがまだあるのかも


あ、いや、

「出来ない自分を認められない」だな

中途半端な自分は認められない
能力のない自分を認められない、かな
まだあるんだな〜^^;

出来ない自分を直視できない感じかなあ
自分にとっての「出来てる」のハードルが高くて
出来てないことを認めたくなくて
やらない とか
避ける とか
後回しにする とか
逃げる・・・

できないってことがわかるのが嫌なんだな
やってできないってわかるくらいなら
やらないほうがいい
、みたいな。

できない烙印を押されるのが嫌なんだ。

そんなことを思っていた夜
旦那さんと話をしていて
ちょっと知ってることが出てきたら
全部知ってるかのように話す旦那さんにイラッとしてる
自分を発見。

(それを知ってるからってもう昔の話だし
知ってたってあっそうですかってレベルなのに
何を得意げに話してるんだ。
それ恥ずかしいからやめてほしい)

旦那さんに思う感情は
そのまま自分に向けた感情であり言葉。

こういうイラッとは自分のなかのブロックに気づくチャンス

大して知りもしないのに得意げなのがイラッとする
なぜ?
大して知りもしないから
かえっておバカなのがばれるよって思うから


おバカなのがばれてはいけないのか
なんで?
能力がないおバカはダメだと思っているから
能力がないのは認められないと思っているから

だよね~
やっぱりそうだよね~


で、また杏がリーディングで見えたものは
「どうせ出来ない」と言ってる潜在意識
たぶん拗ねてる潜在意識と同一の潜在意識
「どうせ出来ない」って言って拗ねてるみたい
拗ねてるけど
その拗ねてるのをずっとやってたいんだろうな


出来ない自分を直視できない
無意識にどうせ出来ないって思ってるわたしがいる

どうぞできないからってやらないのが
できないのを認めなくてすむから

すべてにおいて完璧な人なんていない
能力がない部分だってある
得意な部分と得意でない部分
わかーーーーってる

得意でない部分はわたしがどうしても
得意であってほしい能力でもある


得意じゃない部分を受け入れる、認める
得意じゃないってわかったって
自分の価値が下がるわけじゃない

そして得意かもしれないのに
できるかもしれないのに
できないって知るのがこわいから避ける
どうせできないって拗ねる

どこかで、それさえできれば認められるのに
って思ってるから
それさえ、ができないと絶望的な自分と思ってしまうんだ

うーん。


完璧じゃないと認められない

なぜそう思うようになったんだろう??
昔から母親に認められたいっていうのはずっとあったけど
そこは何度も何度も癒してきて
母親の呪縛は感じない
母親に対するっていう今世のものよりも
さらに根深いかんじ

過去生といえば過去生なんだけど・・・
なんかさらに昔のようなかんじ
過去生かなぁと探ろうとすると
なんとなく感じる男性の存在

師匠だったのかな
頑張っても頑張っても認めてくれない
頑張っても頑張ってもダメダメもうちょっと
頑張りさえすれば何でもできるはず
でもわたしにはできない
もう限界
不得意があってはダメなの?
得意だと思ってたのにそれもダメなの?
わたしはダメな存在
もうダメって烙印を押されたり、実感するのはつらい
すごく頑張ってできないって気づくくらいなら
努力せずにできるのレベルでいい

師匠はなんて言ってるんだろう
「あと少しの壁が越えられない」
その壁ってなに?
努力の壁?

師匠の思う理想の形
わたしの思う姿とは別物をわたしに求めている

師匠、わたしはわたしじゃダメなの?
あなたが求めるわたしにならないとダメ?
それが苦しくてわたしはできない自分をみれないよ
あなたに縛られない自分でいたい
もう解放してください

ていうか自分がなれよ
自分が理想の自分になればいいじゃん
なんでわたしにもとめるの
なんで自分でなろうとしないの?
と聞くと

黙る師匠

なぬー
そうやってわたしができないって落ち込むのを
見ていたかっただけなんじゃないの
ほんとうは理想なんてないんじゃないの?

あんたなんて師匠でもなんでもないわ
どっかいってよ
師匠だって思った自分が情けないわ
もうさよならだ

この過去生がいることでわたしは
できない自分を認められない
過去生のわたし、もういいよね
この師匠とさよならするんだから
上にあがろう

「あがります。もうあんなの師匠じゃない」

というわけで、過去生を救出。
ずっとそこに囚われていた過去生を救出。
ついでに師匠と思っていた存在も救出。


完璧じゃないと認められない?
できないってわかったらどうなる?
できることもあんまり認められなかったけど
それはどうだろう?

できないことを認めることで、
できることが認められる気がしてきた

できないって認めるって
できる自分を知れる、認めることなのかもしれない


拗ねてる潜在意識に意識を向けて言ってみる
できないことがあってもいいと思う
やってみないとわからないからやってみよう
まだちょっと怖いけど
できないを知ろうと思う
できないことを認めていこうと思う
だから
どうせできないじゃなくて

できることをどんどん伸ばしていこう
できなくてもいいよ
できないって知るのは自分を知るだけのこと

あ、ちょっと笑った気がした。
「そうだよ。やっとわかった?」

あぁそうか、過去生から縛られてた
できないことがダメだって、思い込みだね
ちょっと楽になった気がする



あっそうか。
出来ないを知るは、闇を知ること
そして闇を知ることで光が見えてくるんだ
闇の中に光る自分を知れるってことなんだ

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