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#075 会話の引き出しに日本語でラベルを貼っている話

こんにちは、マルタのタマルです。
日本から友人がやってきたときにふと気づいたことをお話しします。


日本語が好きすぎる!

noteを書いていることからも分かるように、私は結構文章を書くのが好きです。ひいては、日本語が好きなんだと思います。大学受験のための模試では何がどんなに悪くても現代文だけは常に成績が良かったし(英語はお察し)、物事を理解するときや納得するときは、基本日本語に依存していると思います。近代哲学の結論に達した話でも書いたけど、日本語がないと悩むことすらできません。

記憶(=会話)の引き出し

それとは別に、記憶力が非常にいい方でもあります。ただ、これは自分の体験に基づくものに限るので、決して暗記教科が得意というわけではないのです(むしろそうありたかった。世界史とか覚えていたかった……)。
たとえば、高校時代にあった面白いエピソードや、大学時代に直面した困難など、昨日あったことのように思い出せます。
一時メンタルの問題で会社を休んでいた時にカウンセリングに通っていたのですが、そこでカウンセラーに「感情が強い人は記憶力がいいことが多い」と聞いて納得しました。つまり自分の激しい感情と出来事が結びついて、体の一部となって離れないんですよね。そうした「記憶」は、脳内の巨大な引き出しの中にたくさんしまわれていて、一つ一つに細かくラベリングされているようです。
わたしは(残念ながらそんなに得意ではないのだけど)めちゃくちゃおしゃべりな人間で、他人の会話の"キーワード"がひとたびラベルの言葉に関連すると、「◯◯でいうとさぁー」とその引き出しにしまわれているエピソードを話し始めます。おそらく、しゃべれと言われれば無限に話し続けられます。このキーワードの関連付けのレンジがかなり広いので、いくらでもエピソードが思いつくのです。

英語の雑談が苦手な理由

そんなおしゃべり野郎のわたしですが、海外では本当に静かです。もちろん、求められたり何かしなければならないときはしゃべるけど、雑談とかはあまり積極的にはしません。しない、というか、できない、に近い。なぜだろう?と思っていたのですが、2月に日本人の友人と話していて、いつものように「◯◯といえばさあ」と口を出た時に気づきました。
自分は今までの感情や出来事を一つ一つ丁寧に日本語で整理してから記憶(会話)の引き出しにしまっているようなのです。わたしが通っていたカウンセリングで取り組んでいたのも「認知行動療法」というやつで、簡単にいえば自分の今までに起こった出来事を書き出して整理し、自分の思考パターンを言語で捉えるというものです。わたしはこのカウンセリングを受けた後から生きるのが5割増しくらいで楽になったのですが、これもあって自分の思いを言語化(もちろん日本語で)するということ癖づいているのですよね。
つまり何が言いたいかというと、英語で雑談していても、「◯◯といえば」の「◯◯」が全く引っかかってこない。そりゃあ雑談が続かないわけです。

英語での雑談を得意にするために

じゃあどうしたらいいかというところで、2つほど方法が思いつきます。

  • 膨大な記憶をイメージなど抽象概念で捉え直す

  • 引き出しの項目を英語でもラベリングする

前者は脳のリソースの意味では非常に効率的です。要は同じエピソードを二度覚える必要はなく、どっちからでも柔軟に取り出せるようにするというわけです。ただ、これって「考え方」そのもの、「記憶方法」そのものの抜本的な見直しが必要で、正直言って現実的ではありません。
となると、後者が現実的な方法として浮かび上がります。実際、どんなに下手くそでも一度英語で話したことのあるエピソードは二度目にはかなり流暢に話せるようになります。「なんでマルタに来たの?」とか、「どんぐらい滞在した?」とか、100人が100人聞いてくる質問はスラスラ答えられる。
同じように、たとえば直近日本語で話したエピソードトークを一つひとつ英語でラベリングして話せるようになれれば、間違いなく英語は得意になると思います。……ふう、途方もない話ですが……でも英語ができるようになるってそういうことだよなー。雑談ができるようになればたくさんお話もできるようになるわけで、よりよいサイクルも生まれるし。そのエピソードがウケたら成功体験にもなるわけで、話す自信もつくだろうし……いいことしかない!

と、いうわけで

自分の認知とこれからの指針について理解が深まった小話でした。
次回からはまた旅行記が増えるかな?と思っています。それではまた別に記事で!

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