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命をひろった話:ハレ

高校以来50年の友人Aが仕事で約束に現われなかったそうです。友人Aの住んでいるマンションには別の高校以来の友人Bも住んでいて、約束相手がBの親戚だったことから、Aとの連絡を頼みました。Aは一人暮らしです。Bが部屋に行くと風呂の明りは付いているけれどチャイムを鳴らしても応答がない。近くにある事務所に行っても誰もいない。車は駐車場にあり、普段使っている自転車も置いたままでした。これはおかしいと、管轄の交番に電話して緊急連絡先になっているAの弟さんと連絡を取ってもらいました。弟さんが部屋の鍵を持って来て、警官、弟さん、Bで部屋に入ったところ、Aはベッドで寝たまま動けなくなっていたそうです。呂律は回らないものの意識はあって「昨夜、風呂に入ろうとしたら気分が悪くなったのでベッドにきて、そのまま動けない。携帯をベッドから落としてしまって、何処にも連絡できなかった。」というような事だったそうです。警官が直ぐに救急車を呼んでくれて、脳出血だったそうですが、今はリハビリ中です。

別の友人で、彼も一人暮らしなのですが、隣の県に住む娘さんの家に行って帰りがけに気分が悪くなったそうです。
「まぁ、大丈夫」と言ったけれど娘さんが余りに強く勧めるのでいやいやながら救急病院へ。診て貰ったら心臓冠動脈3本のうち1本は完全に詰まって使えず、残り2本も殆ど詰まっている状態でした。緊急入院。その夜、病院で心臓が止まったそうです。が、幸い病院にいて応急措置。
「あのまま家に帰っていたら死んでたね。人間て、簡単に死ぬんだなと思ったよ。」
とは本人の弁。

友人は「簡単に死ぬ」と言いましたが、彼は生き延びたのですね。

10年以上前の話ですが、私の母も一人暮らしでした。家が真っ暗なのにテレビの音が聞こえるのはおかしいとお隣さんが見に来て、倒れているところを発見してくれました。後遺症は残りましたが生き延びました。

もちろん、私の周りも生還する人ばかりではありません。

玉光神社初代宮司・本山博の話に「死ぬ病気と死なない病気」という話がありました。

死ぬ病気は死ぬのです。寿命のある病気は、どんなに痛くても、癌でも治っちゃう。でも、寿命で病気になっている場合は、どんなに軽い病気でもコロリと死ぬのです。

本山博『本山博講話集 神様の真似をして生きる一:本当の宗教、本当の信仰とは』
宗教心理出版、2019年、106頁

寿命と病気はイコールではないのですね。そんなことを考えさせられました。