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値の張る悩み

よお。

先日会社で健康診断があった。下っ端社員だろうが平等に受けることになっているから、私も受けに行った。健康診断の項目には血液検査があり、つまり採血であるが、私は針を刺されるのが大の苦手で、ドキドキしながら受けに行った。

普通の人であればドキドキするだけで終わるわけだが、私は発達障害・鬱病持ちという素晴らしい疾患持ちであるから、すすっと滑るように行かなかった。
最初は針が上手く刺さらず、腕がビリビリしたので「うおおおお」と叫んだ。看護師さんが抜いてくれたが、刺した場所が悪かったらしく、血がいっぱい出た。
そこで緊張はピークに達し、二度目の時には痛みのあまり「いてえ!いてえ!」と泣き叫んでしまった。パニック障害の人のようなパニックになってしまった。看護師さんたちが「たいへんだ!」と寄ってきてエライ事になった。申し訳ない、私は普通の人とは違うのだ。

お医者さんたちは、私の見てくれや体重、肝臓の数値を見て「もう少し痩せれば」というが、私が「抗うつ薬を飲み始めてからびっくりするぐらい太りました」というと、全員黙ってしまう。


最近の悩みは、長生きできないであろうことが分かってきたことだ。

例えば普通の人であったら、今の時代なら頭がボケる90くらいまでなら、余裕で生きる事ができる。うちの両方の祖父母もそうだし、周りの高齢者もそんな感じだ。
70くらいで仕事をやめ、ゆっくり歳をとって死ぬ準備をする・・・。それが現代の老人の生き方だろう。

ところが私の場合、長年の鬱病で身体のすべての臓器に負荷がかかっている。過敏性腸症候群・逆流性食道炎などの病名に加え、この夏には不整脈を指摘された。肝臓と腎臓の数値は悪い結果が出ている。ボロボロになっていく身体に翻弄されている。

60まで生きられるか・・・?40で死ぬかもしれない・・・。
最近はそんなことを考えている。もし40代で死ぬとしたら、あと20年もないってこと。これは人生の半分が終わったことを意味している。

他の人なら60代70代で感じる悩みを、20代で考えなければならない事は、精神的に負荷が大きい。

しかし、鬱病が酷い時はこんなもんじゃない。こんなもんじゃなかった。
自分にナイフを向けて、いつ死ぬかというタイミングを血眼になって探す。明日は首を吊ろうと考える。
それに比べると、長生きできないかもしれないというのは、何とも値段の高い悩みだなあと思う。
上手い物を食って、行きたい所に行き、やりたいことをやって死んでいく・・・本当はそれすらも許されず、一瞬のうちに死んでいくはずなのに。

鬱病は「ほしいほしい病」であると何度も言ってきた。
鬱病は「あれがほしい、これがほしい、ああしてほしかった、こうしてほしかった」と言って苦しむ病気だからだ。
私も「死なせてほしい」という欲求がおさまったと思ったら「長く生きたい」という正反対の「ほしい」に直面しているではないか。
あほらしい。

そういう値段の高い悩みをウヨウヨと考えるのは、もっと徳を積んでからじゃと自戒する。

今日も疲れてしまった。
寝る、寝る。

インターネットを渡り歩いてまだ6年、色々なカテゴリを楽しみ、「消費者」として生きています。 そんな文化の消費者の毎日思ったことアレコレを書いていきます。雑記。