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【百線一抄】065■朽ちることなき生来の名の軌跡―相模線

移り変わりを紐解くと数奇な運命の翻弄が見える。砂利の運搬線か
ら身をおこしたものの経営は苦戦、関東大震災の復興で路線延伸が
認められるも、厚木以北の延伸が完了した頃には専用線の廃止や昭
和恐慌が影を落とす。戦時体制下に入ると、戦局の悪化とともに軍
備輸送に加わり、戦時買収私鉄の路線に指定され相模線となった。

本来の路線敷設目的であった砂利運搬については戦後ほどなくして
先細りとなり、貨物輸送そのものも高度経済成長とともに積荷や荷
主を変えていく。一方で旅客輸送は気動車の短い編成が往来する、
素朴な情景が相変わらず展開される状況が続いた。車種こそ通勤型
で統一されたとは言えども、ルーツを同じくする相鉄本線などの格
段の進化と変貌を並べ見ると、際立つ両者の違いはおよそ同じ地域
に根を張っている路線とはとても思えないほど大きくなっていた。

青帯をクリーム色の車体に纏った独自色の車両が国鉄末期に登場す
ると運行本数の増加や海老名駅の新設などが行われ、沿線の宅地化
も相まって利用客の増加が見えてくる。首都圏における通勤通学圏
の拡大は相模線沿線も例外ではなく、分割民営化後ほどなく相模線
を電化することが決定した。工事は約2年で完成の運びとなった。

ここで投入された電車が、相模線オリジナルの外観を持ったもの。
非電化時代とは全く違う、周辺の通勤電車と同じく4つ扉で全車両
に冷房も積まれた。所要時間短縮と増発も行われ、近代的な通勤線
区としてレベルアップが図られた。朝夕の八王子直通も継続され、
中央快速線や横浜線と、東海道線の利用客を取り込みながら、海老
名や厚木で接続する小田急線や相鉄線などへの乗り継ぎ客も送り込
む路線として、少しずつ近郊住宅路線らしい姿に成長していった。

長年親しまれた相模線オリジナルの電車も、数年前に新技術を盛り
込んだ新型車両に世代交代した。今回は他の線区にも同型の車両が
存在しているが、先代車両と同様の青系統を活かした独自の装飾色
を採用して、他路線とは異なる単独路線カラーを勝ち取っている。
車内案内装備もさることながら、一部の編成では線路設備の状況を
継続的に拾い上げ、線路の手入れや修復を早急かつ効率的に進めら
れる。一世紀を経て、引き続きこれからの躍進が楽しみな路線だ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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