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【百線一抄】039■一時の宮跡に由緒を求むー信楽高原鐵道

あの頃、天皇は何を想い、願い、動いたのか。1300年ほど前に
さかのぼって遷都の歴史を眺めてみると、その遍歴は、最終的に平
城京に還るまで3か所への移動を伴って、うち1か所が現在の京都
府をさらに越えて現在の滋賀県内に僅かな期間ながら所在した。そ
の都を紫香楽宮といい、都であった期間は4か月ほどといわれる。

生い立ちは線形にたがわず平坦ではない。第一次大戦が終わった後
の建設路線の一つとして、貴生川から信楽を経由し加茂を結ぶ路線
の一部というかたちで開業したのが、国鉄信楽線であった。昭和の
初期に開業してほどなく、先の建設は進まなくなった。戦時体制下
の不要不急線対象となってバスに移行した期間もある。集中豪雨で
橋が流されたこともあったが運行再開し、草津線と連携をとりなが
ら営業を続けてきたが、国鉄再建にあたり廃止対象路線となった。

滋賀県と沿線市町が出資して第三セクター路線として再出発、終点
の信楽町周辺に新駅を開業して貴生川と信楽町の名所旧跡などを結
ぶ路線となった。開業後の地元開催イベントに合わせてJRの直通
列車が運転されたが、線内の事故で全線運休となった。再開後は単
独での運行となって、1本の列車が往復するダイヤで現在に至る。

朝夕に京都との直通列車がある草津線と、近江鉄道の列車が互いに
交わるように貴生川駅を出入りする。信楽高原鐵道も接続している
両線とも日中は1時間に1本の運行で、各線の4方向へ向かうすべ
ての列車に乗り換えすることができる。土休日に使えるびわこ京阪
奈線フリーキップは信楽線と近江鉄道全線が1日乗り降り自由で、
どっぷり湖南エリアを満喫するなら相当お買い得な乗車券なのだ。
仮に信楽と米原の間を乗り通すと、距離にして60キロ以上ある。

ひとたび貴生川を出発すると、気動車は山裾を縫うように急カーブ
と登り坂をひたすら走る。次の駅となる紫香楽宮跡までは約15分
の行程となるが、その先は小刻みに停車していく。信楽線の特徴は
この駅の配置にあり、実に全6駅中5駅が路線の3分の1の範囲に
ひしめきあっているという点が際立っている。終点の信楽では、大
小100体以上の信楽焼のタヌキらが勢揃いして乗客を出迎える。
宮跡に秘めた謎と県最南端の駅にいるタヌキ達が旅人をいざなう。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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