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【百線一抄】025■かずら橋が越える峡谷は峰向こうー土讃線

名の通る主要幹線といえども、その鉄路が穿つ道程が殊の外、何か
につけて自然に抗う隘路続きとなるとどうしても歩みが鈍くなる。
四国を南北に縦断する路線は少なく、讃岐山脈と四国山地を越えて
大歩危小歩危と名だたる渓谷をなぞりながら、香川と高知を我こそ
はと結んできたのが土讃線である。多度津から琴平、吉野川を越せ
ば徳島県阿波池田、峡谷を抜ければ後免、高知と進み窪川に至る。

歩みを阻む山岳を眺め、琴平、阿波池田、須崎の各地区に根を張る
風に順次線路を延ばし、山越えの区間は昭和初期につながった。土
佐久礼と多度津が1本の鉄路で結ばれたのは1939年であった。
開通後も継続的に改良が進み、谷の壁を伝うような阿波池田ー土佐
山田間の隘路では、何本ものトンネルが新たに設けられて災害から
守りやすい路線へと進歩していった。現在の終点にあたる窪川まで
延びたのは1951年。さらに奥へは中村線と予土線が開通した。

さながら予讃線と双璧をなすような地位にあるはずの土讃線だが、
ネットワークとして見た場合の地位は、いつも予讃線に一歩及ばな
かった。距離や利用客数の差もあるとはいえども、優等列車の位置
付けを比較するに、実際に投入される車両も、編成両数も、本数す
らスケールダウンしたものが与えられてきた地位に甘んじてきた。

飛翔の時は平成に入りすぐにやってきた。世界初の振子型気動車の
投入による劇的な速度向上が実現した。高松と高知の間にそびえる
2時間の壁を一気に突破し、約1年間の足慣らしを経て、駆け足で
四国はもとより全国の非電化路線を大化けさせる原点となった。高
らかにエンジン音を山並みへ響かせ、車体を傾けて高速で走る特急
列車は、岡山・高松と県都を1時間間隔で結ぶという主要商品にま
で成長した。高知以西も同じ車両が窪川より奥、中村へとつなぐ。

車での移動が便利だといわれる四国内ではあるものの、本州から来
る用務客や観光客を一気に土佐路へ誘う特急「南風」の存在感は、
予讃線の特急「しおかぜ」とともに絶大だ。大歩危峡谷の風景を楽
しむトロッコ列車や、最近登場した特別車両の“ものがたり”特急
も、土讃線の魅力を発信する新戦力といえる。高知周辺では通勤通
学客も多く、利用しやすい等時隔ダイヤの整備も進められている。
なかなかの可能性を秘める土讃線の改良は、これからも続くのだ。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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