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【おでかけアーカイブス】#04ー2003年夏頃~2008年頃

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2003年は激動の年となりました。
春に応募した1つの企画がきっかけで、鉄道雑誌「鉄道ファン」との関わりが一気に深まりました。
その企画とは「24時間トライアル」。24時間でどれだけ列車に乗って距離を稼ぐことができるかをプランニングするもの。
幼少の頃から親しんでいる雑誌の企画とはいえど、いままで募集型の内容について応募したことは1度もなかったのですが、この時は食いつくところがあったのでしょう。応募してみた次第です。
その結果と顛末は当方のblogでまとめているので、そちらでお楽しみいただくことにして、ここではその後のことをざっと触れてみます。

2003年はある意味で最も仕事と趣味の両面で器を押し広げた年となり、公務員試験講座を担当するようになってからというもの、勤務実績はとてつもなく拡大していきました。西端は北九州市、南は和歌山、北は富山、東は岡崎と近畿地方の外に足を運ぶようになり、海を越えては四国の徳島県も実績に加わりました。夏休みや冬休みの期間は実質全休の日がほとんどなく、夏休み期間の6週42日間は全休半休フルタイムでパターン分けすると38パターンに及ぶ、まさに持てる力を出しまくっていました。

なのでこの頃は通勤も毎日パターンが異なり、スルッとKANSAI3dayチケットや青春18きっぷ、回数券や昼間特割きっぷにサンキューチケット、株主優待券などといったさまざまな乗車券類を手にするようになりました。同じ勤務先に向かう場合でも平日昼間や土休日だと手にするきっぷが異なることなど、変な表現になりますが、まさしく日常茶飯事になっていました。

2004年に入ると、多数足を運んでいた勤務地との契約を1つに集約して、専任としての業務に就くようになります。おかげさまで休みがそれなりに取れるようになったこともあって、九州や東北の未踏県に足を運ぶことができたのがこの頃。秋以降は本業の書き入れ時となるため、逆に休みはほとんど取らずに現業に邁進していました。

2005年になるとフリーランスに近いかたちでの業務形態に復し、再び複数の勤務地で講座を担当するようになります。公務員試験講座も意外な展開で再契約が成り立ち、名古屋通勤も従前以上に回数が増えていきます。

この年は愛知万博の開催年でもあり、これを機にデジタルカメラを購入。旅の記録を効率よく押さえていくようになります。

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大阪万博を知らない自分としては、なかなかの感激と収穫を得られたイベントでした。九州では新幹線開通によって博多ー鹿児島間の所要時間が大幅に短縮され、その感動も写真に収めています。新八代駅での対面乗り換えも懐かしいシーンとなりました。

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2006年になると、目的を明確に位置づけての旅が多くなります。近鉄特急の複数列車乗り継ぎを活かしたおでかけや、気になっていた列車や駅をめざしながら名勝を訪れて本業(社会科の先生の)の糧にするようになりました。
そしてこの年、高知県に足跡を記すことで全都道府県踏破を達成しています。

2007年にはblogの開設、mixiの招待を受けてSNSデビューを果たし、この頃からのお付き合いが今でも続いているのはとても嬉しいこと。ありがたい関係なのであります。

2008年にはそういった人々のつながりから、いろいろな立場の方々とも接点が拡がっていきます。ずっと応援してきているスーパーベルズ豊岡真澄さん、音楽館代表の向谷実さんとのご縁もこのあたりからの賜物です。

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他にもこういったイベントやオフ会がきっかけで、旅先で交誼を深める機会も増えました。現在はオンラインで繋がる機会も多くなりましたが、やはり対面で繋がる方が、相互理解の速度も密度も高いように思えます。

そしてblogの毎日投稿が当たり前になってくると、ネタのために写真をストックすることも次第に日常となっていきます。

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むだ(六田)に停まるとか、なかなかシブいじゃないですか(笑)

そしてあるwebページとの出会いが、さらにとんでもない方向へ書き手を誘っていくことになります。

それでは次回の投稿まで、ごきげんよう。

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