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猫嫌いの私が猫カフェに行って感じたこと

「好きな動物は何?」「犬と猫どっちが好き?」
私はこの話題が続けることができない。なぜなら人間以外の動物に興味がないからだ。

同じ枠組みの人間に良くも悪くも感情が揺り動かされる構図は、3歩くらい引けば滑稽だ。
「そんなに気に留めなくても・・・」と思う一方で、いざ渦中に入ると全力で向き合ってしまい人間同士での付き合いを放棄したくなる時もある。
そんな時に心許せるペットがいたら気持ちも和らぎそうだと思うけれど、実行には移していない。


先日、「無料だから」と誘われて猫カフェに足を運んだ。
猫は正直苦手。たまに道を横切る猫を見るとヒヤッとする。
そんなメンタル(?)の人が猫と触れ合いながらお茶なんかできるのか?!と、誘いを受けて了承した2秒後から不安な気持ちになった。

結論から言うと、帰宅後には泣けてきてしまった。
猫2匹くらいで運営しているのかと思いきや、もっとたくさんいて普通に圧倒。変わるがわるいろんな人間の手を渡り歩いている様子に眩暈がした。
「触ってみたら良さがわかるかも・・?」と思ったけど、ビビりすぎてまともに触れ合うことができなかった。
おそらく、その日訪れた客で最も触れ合いを拒否していただろう。

「こんなに知らない人間にベタベタ触られていてどんな気持ちなんだろう?」
「きちんと報酬は貰えているのだろうか?やりがい搾取されていないだろうか?」
「こんな細いけどきちんと栄養は与えられているのだろうか?この格好は自分の意思でできているのだろうか?」
などと、妙に人間に当てはめて考えてしまった。


どんな背景で猫カフェ勤務になったのかはわからないけれど、おそらく辛い傷を負いながらも生き延びるために、全く知らない生物との交流で体を売っているようにその時の私には見えてしまった。
・仕事と感情をはっきり割り切ることができている
・給与面や福利厚生が充実している
・いやいや、お前が思うほどこの仕事は悪いものじゃない、誇りに感じていているよ!
いずれかのパターンであることを願うばかり。

思い起こせば、ペットショップも苦手。
素直に「可愛い」と思うことができない。
ずっと監視されていて落ち着かないだろうし、まわりの子が人間に早々に買われていく様子は私だったら自己肯定感が爆下がりするだろう。
人間界の値段という基準で自分の価値が数値化されるのも残酷だ。
「ごろごろしているだけで良い環境にいることができてラッキー」と思っていて欲しい。


人間を取り巻く環境も厳しくなっているけれど、きっと他の生物はもっと体感治安が悪くなっているのではないだろうか。
気候が極端だし、食料や住まいが安定しているとは考えにくい。そんな中で人間よりも厳格に繁殖が求められる・・。

そう考えると、カフェ・ペットショップ・水族館・動物園・・・・私が感情移入してしまう場所ほどもしかしたら「安定」を手に入れられるのかもしれない。
水族館勤務がもしかしたら人間界でいう政治家のような存在で、その生物のルールを決めていたら・・・?
各施設の見る目が変わりそうだ。
もし願い事が一つだけ叶うとすれば、「一生願いを叶えられるように」というチートを発動させた上で「各生物の社会様相を知りたい」と言うだろう。


どんな生物でも今いる環境で生き延びようと努力していることを思い知らされた。
私も今の状況が辛くなったら場所を変えてみよう。
住まいや食料は他生物よりも安定して手に入れることができる幸せな環境にいるのだから。
それ以外は失っても怖くないはずだし、もっと変化を楽しんだり、その場の環境を悲観的に捉えることはやめようと心から思った。



追記
「自分、文章長いな?!」と思う機会が多い。
少し文章を短くする練習も兼ねて、今回は1,500字とラインを決めて書いてみた。追記はノーカンで、1,470字に抑えた。
実はダラダラ書いている文章と執筆時間はそう変わらなかった。
理由としては、いらない部分を削っていく作業が多かったからだ。
ちなみにこの記事も最初適当に(?)書いたら2,300字だった。
もっと短くまとめられるように努めたい・・・と言いつつ、来週公開しようとしている記事はまだ執筆途中でも8,800字あるのだが(苦笑)
ノー編集で公開するか迷い中。

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