【人生 底辺の思想家】玉尾

底辺で働く思想家、玉尾です。 駅の夜間清掃をして、暮らしています。 夜の駅は、凄まじ…

【人生 底辺の思想家】玉尾

底辺で働く思想家、玉尾です。 駅の夜間清掃をして、暮らしています。 夜の駅は、凄まじく汚されています。 嘔吐物、汚物、至る所にあります。 それを、きれいにしていくのが、私の仕事です。 そんな私が、体を動かしながら、思考し、得た気付きを皆様と共有できればと思います。

最近の記事

【人生】結婚と血痕〜コミュニケーションスキルを学ぶより大切なこと

コミュニケーションスキルって、あれば社会で上手く立ち回れるでしょうが、生きていく上では、もっと大事なことがある気がします。 私の若い頃の話をしましょう。 中学卒業の14歳の時、初めて女性に告白し、フラれました。 そして、37歳の時、妻と出会うまで、23年間、好きになった女性達にフラれ続けました。 妻と出会うまで、私には、男として、何か重大な欠陥があるのではないかと、悩みました。 自分に、もっと、女性に好かれるコミュニケーション能力があれば…と思っていました。 妻とは

    • 【人生】その風呂敷、大き過ぎませんか?〜人間関係に悩む人々へ

      若い頃の私は、人に嫌われたくないと思っていた。 そして、自分の認めた相手に好かれたいと思っていた。 そう思うのは、当たり前の事だと思っていた。 しかし、今考えれば、これは、人間関係において、私には高すぎる目標だし、大風呂敷を広げた状態だったことがわかる。 40代後半の今、私には、そんな魅力も能力もないことがわかる。 私にできることは、私の周囲にいる7人を大事にすることだけである。 妻、娘、父(去年他界)、母、兄、友人2人の7人だ。 それ以外の人々など、どうでもいいの

      • 【人生】世界は終わる〜いずれ消失する世界での私の生き方

        世界は終わる。 自分の死と共に、世界は終わる。 自分が生きているから、世界を認識できる。 自分が死んだ瞬間、自分の意識と共に、世界は消え去る。 万人に共通する世界など、存在しない。 皆、自分の性質、経験などから独自のメガネをかけ、同じ場面でも、違った世界を見ている。 世界の終わりとは、そんな自分の世界の終わりである。 メガネをかけずに見える世界とは、どのようなものだろう? その世界を見ることは、自我のある人類には不可能。 神の領域だ。 世界は終わる。 必ず終わる。 ジ

        • 【人生】迷ったら、自分の死を考える

          気分が乱れたら、原点に戻る。 これが、最近の、私の生き方です。 では、原点とは何か? と、言えば、 自分の死を想像することです。 人生の中で、人類に共通する結末…それが、死です。 これは、誰も否定することの出来ない、厳然たる事実です。 気分が乱れたら、悩んだら、自分の最期、死を起点に物事を考える。 動かしようのない事実なので、これほど心強い土台、思考の出発点はありません。 自分の死というものをどのように考えるのか? これにより、思考の起点が変わり、行動が変わり、人生が

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          【独り言】私の究極の幸せ

          夜勤明け、温かい駅蕎麦を食べる。 仕事で冷え切った体が温まり、ツーっと鼻水が垂れる。 今日は本当に寒かった。 震えながら、仕事した。 つゆも全て飲み干し、フーッと、息を吐く。 幸せだと感じる。 この蕎麦を食べる5分間が、私にとって、究極の幸せを感じる時間である。 幸せの形は、人それぞれ。 私の幸せは、このような時間を味わうことにある。 私の幸せは、他人との比較ではなく、自分の足もとに存在する。 さあ、これから暖まりながら、ゆっくり過ごし、今晩の仕事に備えると

          【独り言】私の究極の幸せ

          【独り言】私には、それしか、できない

          人は、必ず死ぬ。 なぜ、暴動が起きないのか、不思議に思う。 自分という存在が無くなり、この世界を再び見ることは、永遠にない。 なぜ、喚き散らさないのか、不思議に思う。 今見えている景色、あれこれ考える思考、全てが、私が、消滅する。 なぜ、自分を哀れみ、慟哭しないのか、不思議に思う。 どうしようもないことだから? 全人類の結末が、同じ、死だから? しょうがないか… 諦め… 私は、必ず死ぬという、動かし難い事実を考え、一日を始める。 なぜなら、それは、人生で

          【独り言】私には、それしか、できない

          【独り言】腐り始めた私が得た人生の楽しさ

          死ぬまで、成長したい! 若い頃の私は、そう考えていた。 しかし、今の私の考えは、違う。 今の私は、成長しているというよりも、成熟し始めたと感じている。 言葉は、悪いかもしれないが、徐々に腐り始めたのである。 しかし、これも、悪くない。 自分が、どの程度の人間か、わかり、諦めの心が出て来た。 この諦めが、私に何をもたらしたかというと、心の軽さだ。 自分の人生を、軽く考えることができる。 まあ、残りの人生、楽しく生きよう! と、いう、肩の力が抜けた、感覚。

          【独り言】腐り始めた私が得た人生の楽しさ

          【独り言】有名人のニュースを見て思うこと

          彼等は、自分の納得のいくように生きている。 私は、そこに、生の輝きを見る。 一般論、世間体、同調圧力に負けない、力強さ。 多くの人は、そんなバカな行為をするから、転落するのだと思うかもしれない。 しかし、彼等は、おそらく、転落などしていない。 自分の生の炎を燃やしている。 転落した! ざまあー見ろ! 比較論でしか見れない、その心の有り様が、自分の生の炎を燃やせない原因だということに、気付いていない。

          【独り言】有名人のニュースを見て思うこと

          【人生】いつ生きてるの?

          いつ、生きてるの? 今でしょ! いつ、楽しむの? 今でしょ! 今という点の連続が、線になり、人生になる。 今、辛いけど、頑張る。 今、辛いけど、頑張る。 今、辛いけど、頑張る。 と、生きれば、辛く、頑張り続ける人生になる。 今、楽しく、頑張る。 今、楽しく、頑張る。 今、楽しく、頑張る。 と、生きれば、楽しく、頑張り続ける人生になる。 今、楽しい。 今、楽しい。 今、楽しい。 と、生きれば、楽しい人生になる。 今、自分が納得のいく行動をとる。 今、自分が納得

          【人生】いつ生きてるの?

          【散文】人の目が気になる、あなたへ…

          人の目が気になる、あなたへ… なぜ、いつも、他人の言動に怯えている? 人間は、生まれてきたら、必ず、死ぬのだ。 そう、あなたも必ず、死ぬ。 死とは自我の消失。 今ある世界は、消失する。 感じることも、考えることも、自分が自分であるという意識も、消失する。 この束の間の人生、他人の目を気にして、何になる。 いずれ終わる世界を、楽しく過ごそう。 人生を遊ぼう! 人生というものを考える時、常に、死という悲劇が、隣にある。 悲劇のままで、終わらせるのは、もったい

          【散文】人の目が気になる、あなたへ…

          【人生】輝きを放つ娘〜笑顔が開く未来の扉

          私には、義理の娘がいる。 妻が二十歳の時に産んだ子だ。 彼女は、いつも、ニコニコしている。 なんて、いい笑顔なのだろうと、いつも思う。 彼女は、学習障害という障害を持っている。 計算などが苦手だ。 中学卒業後は、そういう子の集まる学校にいき、介護を学んだ。 今は、介護施設で、働いている。 中学の時点で、介護施設で働く事が夢だった。 ボランティアなどにも、積極的に参加していたようだ。 結婚前、妻との同棲を始める時、妻の実家で暮らしていた娘も、こちらに来たいということだっ

          【人生】輝きを放つ娘〜笑顔が開く未来の扉

          【雑談】食べ物は人を幸せにする

          私の妻は、食べる事が大好きである。 美味しい物を食べることが、彼女の生き甲斐と言ってもいい。 暇さえあれば、スマホを使って、YouTubeなどの食に関する動画を観ている。 スイーツを売っている店の期間限定商品などもチェックしている。 口癖が、 せっかくだからね! 、だ。 外出して、興味をそそられる食べ物に出会うと、よく出る言葉だ。 せっかくだから、買って帰ろう! せっかくだから、食べていこう! 私も妻の影響で、今は、美味しい物を食べることに興味が向いている。

          【雑談】食べ物は人を幸せにする

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉④〜統合失調症から得た学び

          人間関係の悩みは、長く、私の傍らにあった。 新卒で入社した会社で、統合失調症を発症し、20代から30代中盤位までは、この病との格闘に費やされた。 通院、服薬を続けながら、様々な本を読み、働きながら、様々な経験をし、30代中盤で寛解した。 しかし、寛解後も、人間関係の悩みは、常に私の傍らにあった。 私は、統合失調症とは、人間関係に起因する病だと思っていた。 他人が、私の悪口を言っている幻聴が聞こえる。 逆に、 他人が、私を絶賛する幻聴が聞こえる。 なんで、他人は

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉④〜統合失調症から得た学び

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉③〜こうして、私は自由を手に入れた

          人生を遊ぼう! この言葉から、死生観について考える必要性を迫られ、 死とは、自我の消失である。 と、私は定義した。 これは、私の死の定義である。 宗教の中に、死の定義を見出す人もいるでしょうし、スピリチュアル的なものから、自分の死を定義する人もいるでしょう。 それは、各々が自分の好きなように定義すればいいと思います。 だから、私の書いていることは、他の人には、全く役に立たない駄文かもしれない。 しかし、私自身が、読書を通じ、様々な考え方に触れ、それが、現在の私

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉③〜こうして、私は自由を手に入れた

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉②〜死生観

          人生を遊ぼう! この言葉は、私に、不思議な力を与えた。 嘔吐物まみれ、排泄物まみれのトイレを清掃する時も、この言葉はを思い出すと、 よし!遊んじゃえ! と、笑顔になり、清掃するのが苦ではなくなった。 近所にある実家から、連絡があり、倒れた母と共に救急車に乗った時も、病院で処置を受ける母を長時間待っている時も、 人生を遊ぼう! この言葉を思い出すと、妙に冷静でいられた。(母は、無事、退院しました。) なぜか? 実は、この言葉には、あるテーマが潜んでいる。 死

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉②〜死生観

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉①〜新たな思考の始まり

          私は、今、人生が楽しい。 悩みが多かった以前とは別の景色を見ている。 昔から馴染みのあるバーで、ママにこの話をすると、人は、極限の状況に追い込まれると、かえって道が開けることがあるのよ、と言われた。 そう、以前、私は、どうにもならない現実に押し潰されそうになっていた。 しかし、その中でもがいている時、一つの言葉に出会い、その言葉について、考え続けていくうちに、目の前の景色が、確かに変わった。 夜の駅のトイレは、荒れている。 限られた時間の中で、排泄物、嘔吐物まみれの便器

          【人生】極限の状況で手に入れた言葉①〜新たな思考の始まり