2021.5.31

昼からラジオの生放送にゲスト出演した。

出番前に少しDJの方と顔合わせをしたが、人がよくて本当に安心した。昼というのは僕にとって実質朝なので、ややクールな印象の人だと絶妙な緊張感に包まれてしまうのである。

僕は相手によって話し方が変わるので、そういうときは大抵ボソボソと自分の思うカッコいいアーティストみたいな喋りをしている。逆にジョージとシャウラの番組に出たときは、あまりにフレンドリーなので「ただいま地元」みたいな感じでマイクを忘れて話してしまうこともあった。

収録の場合はオンオフの切り替えがはっきりしているが、ラジオの生放送は椅子に座ったらすでに番組が始まっているので、普段の自分、外向けの自分みたいな区分が崩壊しておかしな気分になる。

今日も「本物だー」というリスナーの方のコメントを聞いて「本物です」と返したとき、歯が自分の目の前に浮いているような感覚になったが、正直こういう瞬間も気持ちいいと考えられるかも知れない。

それに、やはりラジオの一番の醍醐味と言えば、曲が流れている間の過ごし方である。自分の曲かどうかに関わらず、誰かと音楽を聴きながら曲が終わるのを待つ体験というのは初恋イヤホンシェア河川敷くらいしかない。

まだ河川敷では相方の横顔を見つめたり寄せ合う肩の温もりを感じておけばいいが、生放送ブースでアクリル板越しにDJの方の顔面を見つめていたら明らかにおかしい。メンバーといるときに「君たちはどう過ごしてる?」といった趣で彼らの顔色を伺ってみると、だいたい僕と同じ意図でこちらを見ている。

プロとして音楽が止まった瞬間に会話モードに戻るべきだが、如何せん僕はオンオフの切り替えが下手だから参ってしまう。

それでも何故この時間が醍醐味なのかと言えば、たまにDJの方と曲を聴きつつ雑談に花を咲かせるパターンもあるからだ。ジョージとシャウラはまさにそうなることが多く、しかも二人とも明るいので僕は心から喜んでおりました。

今日もそのパターンで、しかも番組中より砕けて話すことができてしまったりして、会話の空気というものの面白さを実感しながら本番を終えた。

それにしてもラジオ局というのは、何故あんなにも格好良く見えるのだろうか。フロアに入った瞬間に聞こえてくる生放送がスリリングだからか。同じフロアにいる人たちが、実はそれぞれ違う番組を作っているという、独特の一体感からか。

多くの番組が同時進行で作られ、それに伴って多くのスタッフさんが忙しなく動くが、一方でテレビ局ほどのサイズ感はない。

視線で追えるプロジェクト、これがラジオ局に行くのが楽しみになるもう一つの理由であるかも知れない。

楽屋からスタジオに行くまでの間に有名なタレントを見かける、という分かりやすいイベントもあるが、待合席の隣のテーブルでどうやら温泉旅館について打ち合わせをしていて、ちょっと僕もその話聞かせて欲しいのですが、という瞬間に心が躍ったりする。

もちろん話しかけないけども、自分が特に触れずに終わったかも知れない何かに、常に触れ続けている気がして面白い。

今後もしばらくラジオ出演が続くし、6/3には中学高校と愛聴していたスクールオブロックに訪問するので、曲オンエア中の空気感とフロアに飛び交うプロジェクトのことも楽しみにラジオ局に向かおうと思う。

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